愛郷---上信高原民話集(三十一)

石になった狐


 「なぁ、おんじい、なぁ、おんばあ、そんつぎの話はどうしただぁ。」

 「あぁ、そんじゃぁつぎの話をしてやんべぇ。」

 昔、昔、元白根山の菅の沢の森に母狐と三匹の子狐が住んでいたんだと。

森の中の一番でっけぇ栃の木の根っ子の穴に巣を作っていたんだと。

 三匹の子狐はそろって珍しい白狐だったんだと。

 石津村の衆はお稲荷さんのお使いだと大事にして育つのを見守っていたんだと。

 母子四匹は菅の原、石津原、五輪平、赤川の原や草津の諏訪の原あたりを自由に飛び回り暮らしていたんだと。

 陽の光に照らされた子狐の毛は金色に光り、それはそれは絵のようにきれいだったんだと。

 この菅の原の真ん中に草津の湯に通ずる道があってなぁ、日本中から病気を治したくって杖を頼りに湯治に来る旅人がいっぺえいたんだと。

 かわいそうにもう少しで草津という所で力尽きて死んだ旅人もいたんだと。

 石津村の衆は死んだ旅人の為に塚を作り手厚く葬ってやったんだと。

 それが今も石津にある行人塚なんだと。

 秋から冬にかけて陽が短くなって旅人が八所の宿に着く前に日が暮れてしまって道がわからなくなると、四匹の狐が現れ狐の提灯を灯して旅人を八所の宿まで案内するんだと。

 村の衆は四つの提灯を見ると「ああまた狐が旅人を案内してるんだなぁ」と見守っていたんだと。

 ある時、真田の殿様が家来をいっぺえ連れて幾日も狩りをしていたんだと。

 渋沢村の狩人の金造ちゅう欲の深え勢子頭が、白狐の話を聞きつけて殿様にこの話をしたんだと。

 殿様も欲が深く、百姓をいじめる事なんか何とも思わねえような人だったんで「ほうびをやるから早く捕まえて参れ。」と命令したんだと。

 金造は菅の沢寺屋敷の今井川に網を張り遊びに来た三匹の子狐をまんまと捕まえ、早馬で上田城の殿様の所へ届けたんだと。

母狐は晩になっても子狐が帰ってこねえもんで一生懸命探したんだと。幾日も「コーン、コーン。」と啼きながら探したんだと。

 石津村の衆も方々探してやったんだが見つからなかったんだと。

 母狐が啼く声が悲しく、菅の原に幾日も幾日も聞こえていたが、やがて聞こえなくなったんだと。

 村の衆が行ってみると、啼き疲れた母狐は石になっていたんだと。

 村の衆は手を合わせ弔ってやったんだと。

 三匹の子狐も何も食べずに死んでいったんだと。

 それから間もなく真田の殿様が病気になり、熱にうなされ「狐が来る、狐が来る。」とわめいて死んだと。

 金造も四阿山に狩りに行き、足を踏み外して谷底に落ちて死んだんだと。

 狐が死んじまった菅の原には寂しく子を待つ母の狐石が今も残っているんだと。

 「寒くなってきたなぁ、明日は霜が降りるべぇ、風邪ひかねぇよう早く寝るべえやぁ。」


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