干俣区仁田沢集落の北西、数百メートル離れた雑木林の中に、二つの巨大な溶鉱炉が眠っている。

昭和15年、地元の炭焼き職人偶然ロウ石の鉱脈を発見した。耐火レンガや軍需物質を作るアルミニウムの原料として注目を集め、18年には軍需産業の指定を受け、19年には250人が作業をする一大鉱山になった。その産出は年間一万五千トンにも達した。

終戦後、採掘を再開されたロウ石山には高さ14m、直径約4mの溶鉱炉が二基設置された。これにより取引価格は二倍近くにはね上がった。

昭和38年、火災の発生と鉱脈が尽きかけていた事から鉱山は閉山となり深い眠りに尽いた。鉱脈発見からわずか23年間の出来事だった。その間、ロウ石山は軍需産業の盛況ぶりと終戦、再開発と閉山の様子を見てきたのだ。そして閉山から40年余りの歳月が流れた。

かつての採掘場所は森林の自己修復機能によってすでにコナラ−アカマツ林となっていた。炭焼きの行われていた山でよくあるケースだ。二基の溶鉱炉はその木々の中に埋もれ、そこだけ時間が止まってしまっているかの様に見える、−残された風景−。

ロウ石山はもしや、激動の時代に翻弄された自身の記憶を留めておく為に、鉱山のシンボルである溶鉱炉だけには遷移を進入させなかったのではないか。

いずれにせよ、こんなにノスタルジックな目的地は他に無い。