本白根山のコマクサの復元・保護活動は、コマクサの美しさに魅せられた二人のロマンチストの願いから出発した。

万座の干川文次氏は昭和13年7月にコマクサと出会い、以来本白根のコマクサの種を万座で発芽させ、その種をまた本白根に蒔きつづけた。

六合村の山口雄平氏宅の庭や畑からは白根の美しい山並みが見えた。あの山に自生するコマクサが盗まれて絶滅寸前と聞いた。露を含んだコマクサに朝日が射すと朝露が七色に輝く−息を呑むようなその美しさに、心底、魅せられていた。どうにかして復元できないかと思った。そして自分よりもっと前から種を蒔き続けている人がいる−干川文次氏との出会いが山口氏の意志を強固なものにした。

草津中学校一年生の協力で苗を植え続けた。植え始めた頃は子ども達が寒風の中で手を真っ赤にして植えた苗を、同じ町内の人が採りに行ったことを知った。暗然とし、前途の多難さを思った。またある年などは強風に吹かれ倒れそうになりながら苦心して植えた2,000本の苗が数日後には全て抜き取られ、子ども達に合わす顔もなくひとり苦悩した。

やがて生徒の保護者や学校の深い理解と積極的な協力を得るようになった。報道機関も取り上げて保護活動はいよいよ町をあげてのものとなった。自然保護団体、営林署、草津町当局、嬬恋村などで保護復元の会が作られ、早朝パトロールなどの保護運動は一層強化充実された。かつてのように子どもが植えたから採りになどとは冗談にもいえない雰囲気に変わった。

移植した本数、37,330本、蒔いた種、307万粒(*1)。絶滅寸前まで追い込まれた本白根山のコマクサは、半世紀を経て日本一の株数を誇る大群落地となった。

夢を追い続けたロマンチスト、故干川氏、故山口氏。二人が活動を始めた頃は皆笑い飛ばした。しかし今この風景を見て両氏の偉業を笑い飛ばす人は誰もいない。

人間力が造る風景もある。まれにそれが自然力に劣らぬこともある。ロマンチストが夢を追い続けて造り上げた風景−それが、本白根山のコマクサの風景。

(*1 2005年7月5日・湯田六男氏調べ。正式に記録してある数のみ抽出。)