Vision__(1)

気づきから歩みへ


私達の国・『日本』は、かつて国中が緑に覆われ、木にも草にも石ころにも全てに神が宿ると信じられていた。祖先らは自然が与えてくれる恵みの中で、山に入ってはドングリを集め、川では魚を採り、草原ではオオツノシカを狩猟して、太陽と共に目覚め日の沈む頃に感謝の中に眠っていたのだろう。

明日も命が続くかどうかも解らなかった暮らしであった彼ら(祖先)にとって、生きていることはまさに奇跡であり、大自然の恩恵を全身全霊で受けとめていたのだ。その感謝の気持ちから、自然に対して自分らをへりくだって、全てに『神が宿る』と考えられていたのだ。太陽に感謝し森に感謝し水に感謝して生きる暮らしの中で、五感で触れるもの全てに神を感じそれらからエネルギーをもらって暮らしていたのだろう。

もちろん現代のように住まいがあり、充分すぎる栄養の食事があり、羽毛の布団で穏やかに就寝していた訳ではないが、現代の私達と比べるとあまりにも自然に呼応する感覚が違いすぎている様に思う。私達は何から何まで世話になっているこの地球を、自然をどう扱っているのだろう。『生きる』事をどう思っているのだろう。

歴史的背景に基づく便利で快適な現代の生活スタイルになんら異議を唱えるものではないが、私達の文明はもっと身の回りの自然を、環境を、地球を大事にしながら育んで行く事はできなかったのであろうか。いつ枯渇するかわからない化石燃料を大気を汚染しながら燃やして動力としている様は、さんざん世話になった産みの親をテレビゲームの邪魔をされたから刺し殺す中学生・・・こんな新聞の三面記事と何が違っているのか。そして、そんな子供らを非難する大人にも吐き気をもよおす事がある。

今更ではではない。まだ私達は地球にできる事がある。もう使える資源はあまり残っていない。でも考え工夫する事はいくらでもできる。人類には素晴らしい英知がある。何に取り組み何を育み何を残していくべきなのか。こんな僕でも出来る事がたくさんある。やるべき事が見えてくると生きる気力もわくものだ。おかげで煙草もやめることができた。…やがて人類は生き残りをかけて私達と地球を取り巻く全ての環境をコーディーネイトし直す時代が来るだろう。その時に求められ力を存分に発揮できる人材に私はなりたい。


(2003年12月)

次へ

赤木道紘のビジョン一覧へ   TOPページに戻る