Vision__(2)

持続可能に向けて


近年、『持続可能な』という言葉をよく耳にする。国際的には1992年の地球サミット(リオデジャネイロ)で、地球温暖化、熱帯雨林の減少、砂漠化の拡大、生物多様性の喪失など個々の環境問題に国際社会はどう取り組んでいくかを取りまとめた、持続可能な開発の概念に基づく行動計画「アジェンタ21」が採択された。気候変動枠組み条約、生物多様性条約、京都議定書の採択などはこの流れを汲んだものである。その10年後の2002年には持続可能な開発に関する世界首脳会議(ヨハネスブルグ・サミット)が開催、その後も国連持続可能な開発委員会等で毎年協議がなされているという。

…私のホームページは一般の方とnatureとの距離が近くなることを目的として作成しているのだし、こういう自分でもうまく説明できないことはこれ以上書きたくない。こういうことの説明は行政や専門家にまかせて、私は一小市民(村民)として、自らの生命経済活動に支障をきたさない範囲で実施継続できる活動の中に、『持続可能な社会』を地域社会で構築していける道はあると考え、推進している。

しかし現実的にはふと今、周囲を見渡した時、私たちの周りに『持続可能な』ものはそう残っていない。例えば30年前から継続して使用もしくは行われ、今後も数十年間継続できそうなものがあまり見当たらないのだ。しかも『持続可能な』ものというのは、数十年では話にならない。『世紀を隔てて今もなお』という思想である。

現代に生きる私たちは、アジアで最初の近代国家ゆえの物質的豊かさや民主主義の諸制度を長く享受してきた。健康な者は選ばなければ仕事もあるし衣食住には事欠かない。しかしこの経済大国への道は、実際には自然破壊と伝統的文化、習慣、社会の崩壊でもあった。江戸時代末期からの近代国家への150年間の道は、実は日本が失った物もかなり多かったのである。…私たち日本人自身もそのことにもはや気づき始めている。

次にこれから迎える2007年問題を含む高齢化社会について考えたい。一般的に言われる2007年問題とは、私は違う見方をしている。…彼らが定年後、今まで培ってきた技術やノウハウは、あっという間に次世代のハイテクに更新され、それまでの『聖域』は崩れ去ってしまうだろう。そして誰にでも『老い』は来る。その時に、数年で倍以上のパフォーマンスを持つ機種がリリース、すぐに標準となる世界にいるのか、それとも普遍であり長年の経験を有するもの---土、木、自然、人、他にもあるだろうがそっちで居場所を持っているのか。…あなたの周辺に引きこもりの老人がいるならば、それは近代国家へと歩んだ道が生んだ副産物かも知れません。

では、小市民である私が構築していける持続可能な社会とは何か。そのヒントは、実は森林にあったのです。

外から持ってきた外来植物、例えばヨーロッパトウヒやイヌエンジュの人工林は生産性・商業性は高いが森の姿として美しいとは思わない。見ていて安心できない(これは私の祖先がそれらの自生地との関わりが薄かったことを示唆するように思う)。そしてその木々を植栽する前にあった天然林は恐らく枯死木、倒木、変形樹や根上がりの木が多く商業的には全く採算の合わない森だったのでしょう。しかし豊かな生態系があった。老木や枯死木は二次穿孔虫のキクイムシやカミキリムシなどの食料となり、それを捕食するキツツキは枯死木を営巣ともした。キノコも立生木よりも老いて抵抗力が弱い老木のほうがたやすく発生できた。倒木はゆっくりと土に返り水源涵養に優れ、ある種の森では種子は土の上に落ちるよりも倒木上に落ちたほうが発芽できた。変形樹や根上がりの木が多い天然林は森に立体構造を生み、森の動物たちの営巣場所や隠れ場所、子育ての場所になった。天然林は歴史的な自然界の関係の蓄積が今もたっぷりと残っているから美しい。その土地が長い年月をかけて育んできた系(社会)は老いも若きも役目を持っており、それを果たしているから美しい。自分が年老いても役目が十分にある、居場所があるから安心して老えるのである。

最後に、横山隆一氏(日本自然保護協会理事)が会報『自然保護』特集、【日本の森の歩き方〔2005.5・6(No.485)〕】で執筆した一部を紹介する。

『森を歩くたびに感じるのは、「いい森」とは単に大きく育った木があるというだけでなく、森の世代交代をも経た、歴史的な「自然界の関係の蓄積」が今もたっぷりあるところなのだという事実です。自然の試練に磨かれた、蓄積ある環境をつくるシステムが森であり、森を守ることとは「蓄積された関係」を守ること、そしてこのような「関係を深めていくしくみ」を守るということにもなります。』

定年退職後は、60年間生きた方は120歳まで生きて、私と一緒に地球のことをやっていただきたい(笑)。

※人工林を批判しているのではありません。木は建築材としてもバイオマスエネルギーとしても唯一、持続可能な資源です。また中には導入後数百年を経過し安定した森林もあるでしょう。今のところ、人工林なくして持続可能な社会はありえません。ここでは、老木や枯死木も若齢木同様に重要な役割を果たしている天然林(主に老齢林)の姿に、『持続可能な社会』を構築するヒントがあるという事を述べています。


(2005年12月)

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