幻のそば、富倉の里




信州最北、寺と花の町・飯山市は映画「阿弥陀堂だより」のロケ地であり、日本の原風景が残る美しい中山間都市です。この飯山市の山奥に、幻のそばを出す「富倉」という里があります。


富倉の場所は飯山市から新潟県新井市に抜けるR292(富倉街道)の途中。中間造りと呼ばれる独特な萱葺きの屋根の古屋敷が点在するこの里には取り残されたゆえの美しさがあり、泣きたくなる様な懐かしい風景が広がります。


この富倉で昔ながらのそばと笹寿しを出してくれるそば屋が、『とみくら食堂『と『はしば食堂』。ここでは普通に古屋敷の玄関をくぐり、生活臭漂う居間にお邪魔してそばをいただきます。まるでおばあちゃん家に遊びに来たみたいです。


この2つの食堂の食事メニューは

手打ちそば
手打ちそば大盛
笹寿し


の3つしかありません。なのにおばあちゃんは、「今日は何になさいますか?」と聞いてきます。ここでは、そばだけでは無く笹寿しも注文しましょう。するとおばあちゃんは「まあ、これでも食べてお待ちなさい。」といって野菜や山菜やらを数品持ってきます。これらは皆おばあちゃんが畑で育てたり山で採ってきた物。富倉独特の味付けも旨い。

山菜を食べきらないうちにそばが出てきます。幻のそばといわれる「富倉そば」は、つなぎにオヤマボクチ(キク科ヤマボクチ属)というヤマゴボウの葉を乾燥させた繊維をつなぎに使った色の濃いそば。そば粉の味が変わらないので十割そばのような香りと、つなぎ入りそばの喉ごしの良さを同時に味わえ、シコシコとした独特の歯触りがあります。

富倉は雪深い土地で二毛作が出来ないので麦の栽培が出来ず、小麦粉が手に入りません。雪深い土地に暮らす知恵としてオヤマボクチの植物繊維「茸毛(じょうもう)」を使うようになったのだそうです。大変な手間と時間がかかるので富倉では長い冬の農閑期の作業となります。

次に出て来るのは富倉名物「笹寿し」。「笹寿し」は、かつて信越国境の富倉地区の人々が川中島と春日山を往復する上杉謙信に送った野戦食で、謙信は戦時にこの笹寿しを携帯して保存食として食べていたとされ、別名「謙信寿し」とも呼ばれています。
笹の上にもち米を一割入れた酢飯をおき、その上にゼンマイ、しいたけ、しょうが、こごみ、かつおぶし、かんぴょうなどの具が少しだけのっています。モチっとした食感と甘酸っぱい具の味付けが、田舎ならではの趣あってたまらない一品。

交通の不便なこの土地の農家でしか口にすることができなかったこの幻のそばと笹寿しは、今や口コミで大変な評判になっています。それでも相変わらずおばあちゃんは自分が育てれるだけの野菜や山菜、そして自分が打てるだけのそばだけでお客をもてなしています。

はしば食堂の丸山みよきさん(72)は、「わざわざ山奥に来てくれているからねえ、都会には味じゃあ充分に美味しいもんがあるでしょー?だから追いかけはやらないんさあ。いいもんをしっかり用意しておくんだよ。」といって山ほどの前菜を出してしまう。

とみくら食堂の丸山ハナ子さん(7?)は毎年「来年は商売させてもらえるか解らないねえ。最近めっきり弱くなったからねえ。」なんていってもう10年経つ。最近山菜のもてなし品数がめっきり減ったなあ・・・と思っていたら居間の一角にズッキーニが〔御自由にどうぞ〕のメモと共に置いてありました。

取り残された里では人の心の豊かさも取り残されてくれていました。今年もそばの実は玄関先に無造作に広げて干してあります。通りすがりの八百屋さんは訳もなく「ひとつどうだい!」と言ってトマトを渡してきます。

籾干しをするおばあちゃんの手伝いをしているこの子が半世紀を経た後、誇りを持って同じ事をしている社会を継続させることが私たちの使命だと強く感じました。

(2004年11月11日)

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