【解説】 天明三年浅間山の大爆発でいちばん被害を受けた鎌原村、そのとき観音堂に登っていた人は助かり、生きのこりの人たちによって村は再建された。大切な観音堂であり、今でも村の老人たちが、ここに集まって和讃をとなえて熱心に先祖の供養をしつづけている。
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