四阿山

日本百名山

※このページの内容には間違いがあります。でも、昔作ったページの記録として、このままにしてみました。そのうち、きちんと作り直すかもしれません。

■直径4kmの大火口跡

四阿山は標高2354m、嬬恋村と長野県須坂市・小県郡真田町の県境にそびえ、上信国境では浅間山についで高い山です。火山活動は古く、200万年前ごろから活動をはじめ、最後の噴火が30万年前といわれています。現在の四阿山・根子岳・浦倉山・奇妙山は旧噴火口のピークであり、その直径は約4km、山頂から北に向かって見事な大カルデラを形成しています。

■姿も名山の一つ

四阿(あずまや)山という名前は、山の形があずまや(四方の柱だけで壁がなく、四方ふきおろし屋根の小屋。庭園などの休息所とする)の屋根に似ているところからその名が由来したといわれています。作家・深田久弥が『頂上がやや左に傾いだ屋根型をして、その右端に乳首のような丘が盛りあがっている。いい形である。昔の人はどんな山でも名山とは呼ばなかった。眺めて美しい、品格のある山でなければならなかった』と書き下ろしている通り、どこか格調の高さを感じさせる山です。

■日本武尊の伝説

日本武尊が東征からの帰り、鳥居峠の上に立って東を振り返り、弟橘姫を偲んで『吾妻はや』と嘆かれた。そこで峠のすぐ北にそびえる山を吾妻山(あづまやま)と名づけたとも言われています。群馬県側では今でもこの山から群馬に流れる川は吾妻川であり、東側は吾妻郡であり、嬬恋村というロマンティックな名前の村も生まれました。
ところで、嬬恋村の??嬬?≠ニいう字は、正妻以外の妻の意を示します。実際に日本武尊が結婚したのは美夜受比売(みやずひめ)であり、そんな古事に基づいてこの嬬恋村という字にしたのだそうです。

■国指定の天然記念物「的岩」

鳥居峠登山コース上に露出しているのが国指定の天然記念物である「的岩」で、火山活動が盛んだった頃、地下の岩盤の割れ目に貫入したマグマが板状になって固まったものです。それが長い年月の間に侵食作用で表土やもろい岩が削られ、硬いところだけが浮き彫りになって残りました。幅3mと狭いですが、高さは10〜15m、長さは200mにおよびその姿は屏風岩とも言われています。

■歴史と信仰の山

将軍源頼朝が巻狩りの際に、この「的岩」を的にして家来たちと弓を引いていると、どこからか異形の男が現れ、『わしなら弓矢の代わりにこの握り飯を投げて当ててみせる』と言い、それは見事に命中し直径1mもの穴があいたという伝説があります。穴は今も岩脈に残っています。
この的岩の手前から右に巻くように分ける道を花童子(げどうじ)コースといい、途中に花童子の宮跡の碑などがあります。花童子は718年、加賀国白山比売(しらやまひめ)大明神を四阿山に歓請した修験者で、後に花童子大権現として花童子の宮に祀られました。その登山参道を花童子道と名づけ、1754年に壊れたのを修復しています。女人禁制の山でありましたが、この宮までは入山を許されました。
山頂の信州祠、上州祠は延喜式に載っている古社の奥宮で、山麓の真田村の領主・真田家の参土社です。1587年には真田昌幸が四阿山の樹木伐採禁止令を出しています。昔から四阿山は大切な水源かん養林の山でした。
山の品格の裏づけには、こんな歴史と信仰の重みがあるのです。

万座から見た四阿山(左。右は根子岳)

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