草津白根山

日本百名山

※このページの内容は間違っている部分があります。でたらめな内容ですが、昔作ったページの記録として、このままにしてみました。そのうち、きちんと作り直すかもしれません。

■概要

草津白根山は、白根山(2160m)・逢ノ峰(2109m)・本白根山(2171m)の三山を総称してそう呼ばれています。これらの山頂部は火口の周りに噴火によって噴き出した岩石などが積み重なってできた火砕丘です。火砕丘が形成される頃、溶岩流も何回か流れ出し今の山の形をつくってきました。逢ノ峰は円錐形ですが白根山や本白根山には火口がいくつもあり複雑な形をしています。中でも白根山には美しいエメラルドグリーンの火口湖・「湯釜」があり、荒涼とした中での幻想的な湖は息を飲むほど魅力的。志賀・草津高原ルート(R292)の最大の名所になっています。湯釜は世界屈指の酸性湖でその酸性度はpH1,2、水深は30mくらいしかありません。

■白根火山の成り立ち

草津白根火山には3回の噴火期が認められます。57万年前ころの第1噴火期では、円錐形の松尾沢火山が形成されました。その中心火道は本白根沢源頭ふきんにあったようです。
37万年前ころからの2〜3万年間にあった第2噴火期では、大火砕流が2回発生して現在の草津白根山の地形の大要をつくり上げました。この火砕流台地の傾斜は先端ふきんでは3.0゚程度ですが、山頂に近づくにつれて急傾斜となり標高1400mふきんでは6.1゚に達します。これは火砕流噴出後、現在までの30万年余の期間に山頂域が山麓に対して400m以上隆起したと考えることによって説明されます。
そして1万8000年前から始まった第3噴火期で、現在の山頂付近の火砕丘が形成され、3000年前の噴火で本白根火砕丘列がつくられると同時に、その裾から殺生溶岩・振子沢溶岩・石津溶岩(あわせてM4.9は1873浅間焼けより大きい)が東と南に流下し、殺生溶岩流は草津温泉の手前で停止しました。なお湯釜から北へ5kmはなれた志賀高原では鉢山スコリア丘(M3.7)と丸池溶岩流(M5.2)が2万年前に、志賀山溶岩ドームとおたの申す平溶岩流(M4.6)が1万年前に噴火しています。

■最近の火山活動

白根山は3000年前の噴火後しばらくは安定した状態が続いていましたが、1882年(明治15年)8月6日以降活発化し水蒸気爆発を幾度か発生させています。この水蒸気爆発以前は、湯釜ふきんに青々とした草木が生い茂っていたようです。荒廃地のなかに立ち枯れた樹木を現在何本も見ることができますので、そこに森林があったのはそれほど昔のことではありません。1882年の火山灰が黒色腐植土の上に直接堆積していることもこの見解を裏付けています。湯釜火口底がもっとも深くなってマグマの活動がもっとも盛んだったのは1939年4月です。4月24日12時20分の爆発(M2.7)の直後に草津温泉ではつよい降灰に見舞われ、日光がさえぎられてランプが必要な状態が1時間も続きました。

■日本一のコマクサ群生地

高山植物の女王・コマクサは大正・昭和初期には結核やロク膜炎の特効薬として珍重されて乱獲にあい、本白根山でも絶滅の危機にありました。本白根山では盗難防止の観測小屋が建てられたほどです。その後コマクサの主成分が猛毒のアルカロイドのジセントリンであることが判明し、また結核が薬により完治するようになるとコマクサの需要はなくなりました。
昭和後期より関係省庁・機関・地元の小・中学生やボランティア団体などにより植栽活動が積極的に行われ現在では日本一のコマクサ群生地となるまでに至りました。しかし当初からの目的はあくまでも希少植物の保護育成なのですが、最近はコマクサ見物の観光客誘致という側面も見受けられます。

※本白根のコマクサは元々赤色の濃いもの、写真のようにピンクのもの、純白のものと多くのものがありましたが、濃い赤や純白は希少性が高くいち早く盗採され、結果としてピンクのものの割合が激増してしまった時代を経過しております。私も以前『現在の濃紅のものは園芸種なのだよ』と言われ、そう信じておりました。しかし実際には今でも園芸品種のものは植えておりません。誤解の無いようにお願い致します。

渋峠より。白根山の向こうに浅間が見える
秋の弓池と白根山
日本一の規模となったコマクサ

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