万騎峠の大ブナ(長野原町)

万騎峠(長野原町・吾妻町)

 吾妻郡吾妻町と長野原町の町境にある峠、菅峰南方1.2kmほどの尾根にあり、標高1,281m。かっては信州街道の須賀尾宿(吾妻町)と狩宿宿(長野原町)の中間に位置し、草津への湯治客、善光寺参りなどの旅人のほか、北信州の飯山・須坂・松代藩の江戸出し城米をはじめ、信州の特産物であるソバ・大豆・小豆の輸送、白根山や万座山から幕府の火薬製造原料となった硫黄の輸出などで人馬の往来も多かったが、明治二六年信越本線の開通によりさびれ今は訪れる人もほとんどいない。頂上にはブナの古木があり、旅人の目印になったと言う。

 (歴史の道調査報告書/信州街道)
 ここからの展望は素晴らしく、東は榛名山、西は白根山・四阿(あずまや)山から鳥居峠まで一望出来る。この万騎峠の名は、「曽我物語」にも記録のある建久四年(1193)の源頼朝の三原・那須の狩りの際、狩宿の地に宿泊ののち、頼朝が万騎の兵を従えて峠を越えたことに由来する。
 また別名を万字峠とも言われ、前記狩りの峠越えのときに、山中の狐や狸が勢子に化けて行列にはいって邪魔をするので、陣笠に卍の印をつけて越したことから、卍(まんじ)峠といったのが、いつのまにか万字・万騎峠となってしまったという伝説がある。

メジャーを持ってきていませんので目測ですが、胸高直径4mオーバー、根回りは6m位あります。かなりの古木です。樹皮の状態からも樹勢が旺盛とは言えません。この位の古木になるともう、1年間で 0.5 mm 位しか年輪は増えないでしょう。となると 100 年で5cm、それが中心から見て両側にできるのですから直径では 100 年で 10 cm、源頼朝が来た800年前は直径が今より 80 cm 少なかったことになる…今現在直径 150 cm だとしたら、当時は直径 70 cm で巨木とは言えませんね。