国登録文化財 平形家住宅門屋(吾妻郡高山村)
平成十年度 国登録文化財 平形家住宅門屋(旧中山郵便局) この住宅門屋は、三国街道中山新田宿本陣の長屋門として、江戸時代末期に建てられ、郵便制度発足後間もない明 […]
平成十年度 国登録文化財 平形家住宅門屋(旧中山郵便局) この住宅門屋は、三国街道中山新田宿本陣の長屋門として、江戸時代末期に建てられ、郵便制度発足後間もない明 […]
並木城跡 尻高城の里城であるが、現在は城跡のみである。南からの比高は10m以上、東からも5m高く、この両方向には腰曲輪様の部分も認められる。東から南に、幅25m […]
このコウヤマキは、建久年中源頼朝が浅間山麓まき狩りに来た際に常磐の塔墓参りの折り泉龍寺に休息し裏庭に自ら植えたと伝わっています。 樹齢 約800年目通り […]
このケヤキは巨木ではなく、大木の部類です。道路を作った時に相当邪魔だったと思いますが、昔の人が樹木を大切にしたのか、何かいわれのある木で伐れなかったのか不明です […]
平安時代の末の頃、東御市付近で強大な勢力を誇っていた海野一族の一人、海野幸房が吾妻郡に侵入し、三原の竹の下、下屋に居館を構えて三原荘の荘園領主として、下屋将監幸 […]
池の薬師水牢の跡(町史跡 昭和48.3.23 指定) 薬師堂の山端の難石を掘った古池跡が、真田伊賀守による苛政を物語る「水牢」の跡と伝えられている。水牢とは6間 […]
大戸関所跡(現地看板より) 大戸関所は信州街道の要点をおさえる重要な関所で、近世初頭の寛永8年(1632年=1631年では?)に設置された。 信州街道は草津温 […]
大戸城主の大戸氏の本名は浦野氏で、祖先は鎌倉時代に幕府に仕えた海野幸氏だそうで、信州滋野氏一族、つまり真田氏と同族になります。大戸城主大戸真楽斎は岩櫃城主斉藤憲 […]
5月4日は東京からおこしのK様ご一家を吾妻渓谷ハイキングにご案内しました。 吾妻渓谷ハイキング ~ダムに沈む前に~http://ecotourism.or.jp […]
戦国時代、西吾妻最大の合戦と言われる「長野原合戦」で、真田方長野原城の大将・常田新六郎隆永氏は「琴橋須川の橋を落し寄手を防」いだそうです。(※最終的には渡って来 […]
天狗岩神社への道は、とてもわかりにくいものでした。長野原城址の十二坂を進み、看板のある分岐を六合方面へ直進します。しかし、行けども行けども森ばかり… 諦めて戻ろ […]
まさかこれが久森峠の古道…? いや、それにしては石積みが新しすぎます。後になって石積みを直したとか。 ところが、石積みに根が絡まったように見える大木までありまし […]
長野原町指定文化財 羽根尾城跡(羽尾城) 昭和49年9月21日指定 戦国時代に信濃源氏、滋野氏の末裔羽尾幸全入道は羽尾城を根拠として勢力を振るった。幸全の舎弟 […]