愛郷---上信高原民話集(二十六)

木曽義仲の落人


 「なぁ、おんじい、なぁ、おんばあ、そんつぎの話はどうしただぁ。」

 「あぁ、そんじゃぁつぎの話をしてやんべぇ。」

 昔、昔、信濃の国の木曽谷から源義仲ちゅう、戦いの強い大将が兵を起こして、仲間と共に平家を滅ぼし、都の天皇に使えていたんだと。

 戦いがうまく、但利加羅谷の合戦では、自軍より三倍も多い敵の中に、牛の角にたいまつを付けて突進させ、驚きあわてる敵軍に攻め込んで大勝利をおさめたちゅう武勇伝もあるんだと。木曽から出たので木曽義仲または朝日将軍と呼ばれていたんだと。

 同じ仲間の中に源氏の将軍の源頼朝がいたんだと。頼朝は義仲の強さにやきもちを焼いて自分のおじさんなのに、弟の義経に大軍を与え、都にいた義仲の軍を攻めさせたんだと。

 同じ仲間に不意打ちをくらって、都の木曽軍は破れ、大将の義仲は都を追われて淡田口ちゅう所で弓に射たれて死んだんだと。

 家来の細野三友之助、樋口次郎や山本、山口、本田、中村、中沢、山田、茂木、浦野等の武士は義仲の子を宿した、お蘭の局を守り、いつかまた木曽家を再興しようと、はるばる義仲の故郷の木曽谷をめざして都から落ち延びて来たんだと。

 ところが、源頼朝の軍隊が待ち構えていて、木曽には近寄れなかったんだと。

 しかたがねえんで、天竜川を上り修那羅峠を越えて北信濃から渋峠を越え上州に逃げて来たんだと。

 浅間野に入ろうとしたが、ここも源頼朝の軍隊が巻狩をしていたんだと。

 なんとか安住の地を探そうと志賀万座山の山中に身をひそめて茨木の原や草津村を偵察したんだがどっちにも源頼朝の軍隊がいて進めなかったんだと。

 しかたなくここで二手に別れ、一方は樋口兄弟一族を中心におとりとなって米無山に陣を組み、源頼朝の軍と戦い敗れていったんだと。

 戦い敗れ残った樋口一族は矢筈の丘に集まりそこに武具を埋め、池に弓矢の弦を切り沈めて本白根の強羅伝いに石津へ落ち延びたんだと。

 源頼朝の巻狩が終わった後、落ち延びた樋口一族は矢筈に神社を建てて死んだ仲間を供養したんだと。それが矢筈神社の始まりなんだと。

 またなぁ、弦を切って沈めた池を弦が池と呼ぶようになったんだと。       

 細野三友之助や山本らはお蘭の局や都人を連れて落ち延びる事だけを考えて、白根山に上がり池に弓の弦を切って沈め、殺生河原の池にも武具を捨てて逃げたんだと。

 それから白根山で弓を捨てた池を弓が池と呼ぶようになったんだと。

 源頼朝の軍隊に見つからないように尾根の裏道を進んで、芳ヶ平から入道沢の裏手より山を越えて白砂川の渓谷を渡り日当たりの良い山の中腹に身を寄せ、ひとまずここに小屋がけをして住む事にしたんだと。

 これが六合村の身寄なんだと。

 山本は大きな一族だったので、都人の後と先を守っていたんだと。

 年の暮れだったんで、後の山本は正月には間に合わなかったんだと。先に着いた山本を暮れの山本、後を明けの山本と呼んで、今でも門松を立てたり、立てなかったりする風習が残っているんだと。

 さすがに源氏もこの白砂川の渓谷を越えて追っては来なかりたんだと。

 都人と木曽の落人たちは、ここで鍬や鎌を取り自給自足の生活を始めたんだと。

 白砂川の川沿いを奥へ奥へと開墾して山に入ったので、ここを入山と呼ぶようになったんだと。

 落人たちは義仲の妻お蘭の局の為に、良い場所を見つけて家を建てたんだと。そこが今の御殿屋敷ちゅうとこなんだと。

 ここでお蘭の局は男の子を産み名を木曽太郎兼光と名付けたんだと。

 またここに義仲の信仰した、十一面観音を祭ったお堂を建てて木曽家の再興を願ったんだと。

 落人たちが再興を願い武術の訓練をした地を世立。武器の刀や槍、矢じりなんかを作った所を鍛冶屋敷。都人が住んだ所は京塚や和光原と呼んだんだと。

 またそれぞれの一族は根広,引沼、小倉、長平、熊倉なんかに村を作って住んだんだと。

 落人たちは木曽太郎兼金を主人として大切に守って暮らしたんだと。

 白砂川には天然の温泉か湧き、春にはさくら、秋にはもみじが美しく散ったので、ここを花敷と呼び宴を開き京の都を懐かしんだんだと。

 都人はやさしい京言葉を使っていたんで、今でも入山には京言葉が残っているんだと。

 女の人も京美人の流れからか、美人の多い所でもあるんだと。

 落人と都人はここに貧しいけれども幸せなひとつの桃源郷を作って行ったんだと。

 いっぽう石津へ落ち延びた樋口一族はそこで武術に励んでいたが、時代は戦国の世となり武術を学ぶ者が増えて来たので、場所を小宿村常林寺の竜頭の松の丘に道場をかまえ諸国から来る修行者に武術を教えていたんだと、やがて間庭に道場を移して間庭念流という流派を作ったんだと。

 ここから後に、小野派一刀流や柳生流が生まれ、時代を越えて今もなお現代の剣士たちに受け継がれているんだと。

 「えらくなったり、金持ちになると身内が一番こえぇんだなぁ。家はどうみてもあんじやぁねなぁ。はぁ寝るべえ」


(二十五)いんごう銀次 へ   (二十七)鬼女を嫁にもらった欲深男 へ

上信高原民話集TOPへ



赤木道紘TOPに戻る