松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(一)

鵺の声を聞く

 周囲を高山にかこまれた標高1,000メートル前後の広大な浅間高原は、水系にも恵まれ豊かな自然林が展開する。著名な中西悟堂氏の調査によれば、この地域には32科、102種の野鳥が生息するという。(『嬬恋村誌』)。事実、若葉・青葉の頃ともなればウグイス、カッコウ、ツツドリ、ホトトギスなどが鳴き競い、シジユカラ、コゲラ、カケスなどが忙しく飛び交う。まさに、浅間高原は野鳥の宝庫なのである。

 私の住む大前字細原の地域では、六月から夏の終わりにかけて、夜半から明け方にかけて、“ヒー、ヒョー”と断続的に甲高い悲しげな鳴き声を聞く。トラツグミの鳴く声である。トラツグミは、ツグミ科の鳥でハトよりは小ぶりで、その鳥毛は黄白色の地色に黒褐色の横しまがある。

 この鳥は古くから「ヌエ」の異名をもち、漢字では鵺と書き古典にもしばしば登場する。『古事記』の神代の部には、「青山に奴延(ヌエ)は鳴きぬ」とあり、『万葉集』の山上憶良の「貧窮問答集」では、その鳴き声の悲しげなことから、ノドヨフの枕詞として用いられ、「飯炊く事も忘れて奴延鳥乃のどよひ居るに」とある。概してその印象はよくなく、『和名抄』では「怖(こわ)い鳥也」と記している。

 浅間高原の夜更けのしじまに何処からともなく聞こえ始め、やがて近づきそして遠ざかっていくトラツグミこと鵺の鳴き声は、私には妙な笛の音にも聞こえ、浅間高原が巨大な「能」の舞台と化し、古くからこの地に住んだ人々が名優となって現れては消え、消えては現れる。

かつては何処ででも聞くことのできた鵺の鳴き声は、今日、浅間高原ではわずかに聞くことができる。そこに、浅間高原の自然の豊かさと、悠久な時の流れを感ずる事ができる。

※この記事は広報つまごいNo.543〔平成8年(1996年)7月号〕に記載されたものです。

(二)象のいた村 へ

シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(一)へ

シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(二)へ



赤木道紘TOPに戻る