松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(二)

象のいた村

シガゾウの仲間の
パルエレファス

 昭和37年、当時信州大学の学生であった小林将喜さんは、吾妻川上流地域に地質の調査に入った。たまたま大笹地区の吾妻川左岸、泉沢との合流点から40メートル上流、河床から高さ3メートルの露頭で、砂礫層の中に、風化した五枚の咬板が残存する大型獣の臼歯化石の一部を発見した。発見された臼歯化石は、当初約30万年前から2万年前頃前まで生息していたナウマンゾウの臼歯化石と報告された。しかし、その後、日本歯科大学の高橋啓一先生などの再検討によって、化石はゾウ亜科の上顎の第二あるいは第三大臼歯であり、エナメル質および咬板頻度から、ナウマンゾウより古い時代に生息していたシガゾウに近似しているとされた。また、化石の発見された地層は、湖底堆積物層の下部に位置する、泥流堆積物からの出土であることも明かとなった。

 更新世(洪積世)の昔、吾妻川は今と違って、北から南に向かって流れていた。ところが、その流路に火山活動が起こり、浅間山付近が隆起した。このため、川がせき止められてしまった。その結果、大前を中心にして、東西12キロ、南北少なくとも9キロにわたる大きな湖ができたとされる。この湖を地質学者は“古嬬恋湖”と呼んでいる。

 嬬恋村に古ゾウが生息していたのは、こうした湖のできる直前、比較的平坦な地形に小規模の水たまりが点在する時であった。また、その頃の植生は花粉化石の検討結果から、ゴヨウマツ・ツガ・トウヒなどの針葉樹が多く、山地帯上部の植生に近い事がわかり、現在よりもやや冷涼な気候であった事も判明した。

 あちこちに小規模の水たまりが点在し、周囲にはマツやツガの森林が茂り、その中にときおりゾウが見え隠れする。遠古の嬬恋村の姿である。

※この記事は広報つまごいNo.544〔平成8年(1996年)8月号〕に記載されたものです。

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