【解説】 明治5年に学制が公布され、翌明治6年、赤羽根、中井、門貝、干俣、田代、大笹、大前、西窪、鎌原、小宿、狩宿、芦生田、袋倉、今井の十四ヶ村協議の上、第十八番中学区第二百番小学公立赤羽小学校を創立し、赤羽根村下屋与惣次氏所有の土蔵を校舎とした。就学児童33名。
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