松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(三)

赤米の栽培

 普通、米は白い色をしていると考えられているが、日本では古く赤い色の米がつくられていたらしい。

 日本民族学の権威者柳田国男は、日本人が行事や祝い事の時に白い米に小豆を入れて赤くするのは、もと日本人が赤い米を食べていた痕跡を示すものとした。事実、奈良時代の木間や中世の文書、そして江戸時代の記録や農書などにも、赤米についての記載が散見される。

 岡山県の総社市新本にある国司神社では、古くから神社に付属する神聖な水田で赤米が栽培され、かつては栽培担当者は当番制によって固定され、種籾は、門外不出とされていたという。神に捧げる米として特別視されていたのであろう。

 昨年の冬、その赤米が回り回って嬬恋村に到着した。この秋実施される教育委員会社会教育課主催事業の一つである、児童・生徒を対象とした「古代人の食べ物をつくって食べよう」という行事に使用するためにである。社会教育課では、早速、鎌原地区の宮崎克己さんに栽培を依頼した。克己さんは、籾を慎重に選別して播種し、所有の水田の一部約七坪に植え付け、その成長を見守っている。現在のところ、極めて順調に育っていると聞く。

 昔の人の暮らしを考える時、現在の状況を元にして考える事はいけない。現在、私たちが毎日主食として食べている白い米は、長い間の品種改良によって作り出された米である。この現在の米で、昔の人の米作りの苦労や、食料としての評価をする事は、必ずしも妥当ではない。

 今、この嬬恋村の自然と文化の中で、貴重な「歴史の追体験」が行なわれている。既に栽培品種として、その使命を失った日本の米の祖先である“赤米”の栽培である。嬬恋村の真の歴史を理解するためにである。

※この記事は広報つまごいNo.545〔平成8年(1996年)9月号〕に記載されたものです。

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