松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(十)

黒色磨研の注口土器

県指定重要文化財とな
った黒色磨研注口土器

 平成5年今井の東平遺跡から発見された黒色磨研の大小二個の注口土器を、県教委は県指定重要文化財候補として、県文化財保護審議会に諮問した。これを受けて審議会では、その適否を審議し、この程、適当であるとの答申をした。これにより、東平遺跡出土の注口土器は、嬬恋村初の県指定重要文化財となることが確定的となった。

 県指定重要文化財になることになった注口土器は、墓とみられる石を集めた構造物(配石遺構)下の穴の底から発見されたもので、副葬品として埋められたものと思われる。

 セットで発見された二個の土器は、大きさこそ異なるが文様や形は大同小異である。その表面は、普通の縄文土器とは異なり、整形の段階で丹念に磨き、特別な焼き方によって黒くひかっている。文様は器体上部には数条の櫛目状の細い線による曲線と、「の」字状の彫刻的な文様などが付けられている。また、その形は、幅と高さの比率が1対√2(1.4)とバランスも良く、日本の原始美術品としても優れている。

 なお、これらの土器が使用されていた時代は、土器の発見された場所及び状態、文様や形などからして、縄文時代の後期の、今からおよそ3,500年前頃と推定される。

 これまで縄文土器は、家事をあずかる女性が、必要に応じて、随時作ったとされてきた。また、縄文時代は、身分と貧富の差のない社会ともされてきた。しかし、この二つの土器は、土器製作の専門技術者による量産が考えられる。また、こうした優れた土器を所有し、しかも、それを副葬品とする立場の人の存在を考えずにはいられない。

 この程、県指定重要文化財となる注口土器は、嬬恋郷土資料館で公開され、嬬恋村の縄文文化の卓越性を示すと共に、縄文時代の社会についての、新たな情報を発信しつつある。

※この記事は広報つまごいNo.552〔平成9年(1997年)4月号〕に記載されたものです。

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