松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(十七)

鹿のいる風景

発掘の現場に現れた鹿
(9月22日写す)

 今井も今井の東平遺跡の発掘調査が、9月1日から開始された。これ迄のところ、縄文時代の中期とされる今からおよそ4,500前頃の住居跡や土器、石器が発見されている。

 そんな発掘調査の現場へ、9月22日思いもかけない来訪者があった。二匹の鹿である。ほんの40メートルほどの所へ、突然現れた親子の鹿は、しばらくわれわれの作業を珍しそうに眺めていたが、その後、畑の縁に沿って移動し、やがて、地元の作業員の脇を抜けて、山の中へ姿を消した。

 今井区に鹿がはじめて現れたのは、昨年の10月頃と言われる。はじめは、一匹だけだったが、今年の5月頃に小鹿が誕生し、以来、睦ましい親子のカップルとなって今井区の田畑を巡回し、時に宅地にまで出現するという。そして、その美しい肢体と、仕草の愛らしさは、区民からは、多少の農作物の被害について、大目に見てもらいながら今日に至っている。

 わが国の古語に“カノシシ”と“イノシシ”がある。カノシシとは鹿のことであり、イノシシは記すまでもなく猪である。このように鹿と猪は、わが国では古くから代表的な狩猟獣とされ、特に、鹿は肉は旨く毛皮は良質なので重視され、なじみ深い獣とされてきた。

 事実、長野原町の「石畑岩陰遺跡」は、縄文時代の遺跡であるが、鹿や猪を中心とした、獣骨が大量に出土した。また、中之条町の「有笠山岩陰遺跡」は、弥生時代の遺跡であるが、ここでも鹿や猪の骨がたくさん発見されている。これらのことは吾妻地域においても、鹿が古くから人間生活に深く係わっていたことを示している。ここ東平遺跡の繁栄も、その鹿の存在を抜きにしては語れない。

 “縄文の里・今井”にみる「鹿のいる風景」は、その歴史を追想させる一幅の名画であると共に、自然環境の豊かさと、そこに住む人々の心の優しさを示している。

※この記事は広報つまごいNo.559〔平成9年(1997年)11月号〕に記載されたものです。

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