松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(二十)

天狗の麦飯

天狗の麦飯
(小林康章さん提供)

 鹿沢の紅葉館二代目の主人小林亀蔵は、山を愛する傍ら植物にも造詣が深かった。ある時、長野県の岩村田で、“天狗の麦飯”とされるものを見、「これなら俺の所にもある」と気付いた。以来、紅葉館の主人は、その天狗の麦飯をあたたかく見守り今日に至っている。

 世界に類例のない、日本特有の天狗の麦飯とされる不思議な生物は、紅葉館から1キロほど離れた割山(角間山)の南斜面にある。砂混じりの腐植土を数センチほど除くと、黄褐色をした小さな粒子が、粘膜状態で層をなして繁殖している。その状態は、一見、麦を入れて炊いたご飯のようにもみえるので、「天狗の麦飯」の名称が与えられたのであろう。

 この珍奇な生物の正体は、一体何だろうか。これについてこれまで多くの研究がなされてきたが、古くは細菌であろうとされてきた。しかし、近年になってその正体は、下等の藻類である藍藻とされるものであることが判明した。そして、その産地は長野県の飯綱山などを中心に、浅間山など、富士火山帯とその周辺の標高1,000メートル以上の火山性山地にみられることも明らかとなった。

 ところで、この天狗の麦飯は、何時どこで誰によって最初に発見されたか明らかでない。おそらく、最初にこれを発見した人は、山頂を巡礼する修験者か、山野を飛び歩く猟師たちであったであろう。天保14年に発行された「善光寺道名所絵図」には、天狗の麦飯の記載があり、すでに、その頃、信州では不思議な食べ物とされていたらしい。

 角間山は、別に割山と呼ばれていたが、割とは「ひきわり飯」のことで、麦飯を意味するので、天狗の麦飯を産する山という意味であろうか。なお、この地には、明治25年の頃、吉田とされる修験者が、天狗の麦飯ばかり食って、60日近くもの間、行を積んだとの話も伝えられている。鹿沢は世界でも稀な生物の生存する地である。

※この記事は広報つまごいNo.562〔平成10年(1998年)2月号〕に記載されたものです。

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