松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(二十三)

山の呼び名

「元禄国絵図一部」
三つを根(三つ尾根)の禰
の記名がある

 最近、地名もまた文化財であるという認識が高まり、各地でその保存や研究が盛んに行なわれている。山の呼び名ももちろん知名の一つである。

 嬬恋村には、周囲に高い山々が連なり、その中には、白根山・四阿山・そして浅間山など、名山とされるものが多い。

 ところで、その呼び名が、古くから地元で言われたものと、異なってしまったものが目につく。例えば、明治17年の群馬県管内全図によれば、四阿山は吾妻山であり、角間山は小在池山、そして黒斑山は三ッ尾根山であった。特に、吾妻山や三ッ尾根山については、今から300年も前に作られた『元禄国絵図』でも、「あつま山」「ミつを根み禰」と記し、信濃国にても同名と注記している。

 このようなことから、どうやら、吾妻山、小在池山、そして三ッ尾根山とされる山の呼び名は、すでに江戸時代に、地元上野国はもちろん、現在の嬬恋村ばかりでなく、隣接する信濃国においても、それを認める呼び名であったらしい。

 それでは、こうした山の呼び名は、どのような経過で、現在の呼び名に変わってしまったのだろうか。大正元年、帝国陸地測量部が作成した地図では、四阿山(吾妻山)、小在池山(角間山)、黒斑山(三ッ尾根山)と、括弧内に別名を記し、両名を併記している。しかし、昭和48年、国土地理院で発行した地図では、現在の呼び名で統一している。どうやら昭和40年代に入って、現行の呼び名となったらしい。

 人は、たかが山の呼び名というかもしれない。しかし、呼び名には、それが所在する地域の、故事来歴が反映されている。吾妻山とされる呼び名には、著名な日本武尊の伝承が、見事に凝縮されているのである。

 われわれの祖先が故あって名付け、そして、言い慣らした呼び名が、変わってしまった。その理由は明らかではない。しかし、その事実だけは、銘記しておく必要がある。山の名もまた立派な文化財なのである。

※この記事は広報つまごいNo.565〔平成10年(1998年)5月号〕に記載されたものです。

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