松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(二十四)

今井の宝篋印塔(田の神様)

巨石の上に立つ
宝篋印塔

 今井の東平遺跡の東方を限って“ヌクイ川”とされる冬でも凍ることのない小さな清流があり、これに沿って、嬬恋村では珍しい棚田が開けている。その東側高所、棚田を見下ろすような位置に、孤立した状態で大きな岩塊があり、その上に宝篋印塔は立てられ、地元では「田ノ神様」と呼んでいる。

 宝篋印塔は、「宝篋印陀羅尼経」を納める石造塔婆の一種であるが、鎌倉時代以降、多くは主に供養等として建立されたが時には墓標として立てられることもあった。その形状は、基壇の上に、基礎・塔身・笠・相輪の部分を積み重ねている。中心部分にあたる塔身の四面には、仏像や梵字を彫ったものもある。五輪塔と共に石造塔のうちで、全国各地でみられる。

 今井の宝篋印塔とされるものは、安山岩を用いて、各部分を造り、それを積み上げたもので、基礎の幅49センチ、高さは127センチを計る。仏像などの彫刻もなく、また、銘文なども見られない。

 ところで、この宝篋印塔を、他の典型的なものと比べると、やや形状を異にしていることに気づく。特に、塔の中心部分である塔身についてみると、典型的なものは、立方体であるのに対して、本例は直方体となっている。また、その上下の笠あるいは基礎に比べて、塔身の幅が大き過ぎる。このため、全体的にアクセントに乏しく、整美さに欠ける。

 おそらく、今井の宝篋印塔は、少なくとも二基以上の石造塔の部分を組み合わせたもので、本来の宝篋印塔そのものではないだろう。また、その位置も、本来は墓地などに造立されるものであることから、おそらく、元々の位置でもないだろう。

 今井の地には、五輪塔の部分が、数多く発見されている。この宝篋印塔も、それらの五輪塔と共に、室町時代の後半に供養塔として造立されたものが、役目を果たし、「田ノ神様」として再び蘇ったものであろう。

※この記事は広報つまごいNo.566〔平成10年(1998年)6月号〕に記載されたものです。

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