松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(三十二)

風土博物館の構想

今井に残る棚田の景観

 この頃はよく、不透明な時代と言われる。つい最近までの社会では、目まぐるしく推移する中でも、何か一貫した方向性を感じることができた。しかし、昨今の社会では、進むべき方向を容易に見出すことができない。このような時期に当たっては、地域住民は自ら進むべき方向を検討し、選択しなければならない。

 俗に、「むらおこし」とされる地域振興策がある。そこで、何を選ぶかは、その地域の運命を決定することになる。したがって、この選定にあたっては、100年先を見通した大計を立てて決定されるべきであろう。

 今ここに嬬恋村の大計を策定するにあたって、そのキーワードとして“住民を主体とした生活と環境”を柱としてみよう。

 生活の中には、心豊かな生活、健康な生活、恵まれた経済生活などが入ってくる。環境の中身としては、自然環境、文化・教育環境、そして社会環境などが満たされなければならない。このような人の住むための条件をバランスよく満たす計画として考えられるのが「風土博物館」の構想なのである。

 風土とは、辞典などによると「その土地の状態・気候・地味など」とある。しかし、ここで言う風土とは、環境と生活との関わりである。また、博物館とは、通常、建築学的に限られた一定の空間をさすが、ここに言う博物館とは、人々が生活する地域的広がりを指すのである。

 したがって、この風土博物館構想とは、嬬恋村の人々の生活と環境との優れた関わりを、現地において保存、育成、展示することを通して、豊かな未来を創造しようとする、新しい理念による地域振興策と言えよう。

 従来、博物館と言うと、行政側で設置・運営し地域住民の参加は少なかった。これに対して本構想は、住民を主体とすることから住民参加が前提条件となる。地域住民は構想の大切な構成要素なのである。それだけに、この構想を策定するにあたっては、行政と住民とが、一体になって推進する必要があろう。

※この記事は広報つまごいNo.575〔平成11年(1999年)2月号〕に記載されたものです。

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