松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(三十六)

鬼押出しの溶岩流

▲破砕型の溶岩流
(鬼押出し園提供)

 「鬼押出し」と言う名称が、いつ誰によって付けられたかは明らかではない。『上州浅間嶽虚空蔵菩薩略縁起』によれば、浅間山には“鬼”が住んでいることになっている。しかも、その鬼の行状が噴火に係わっているとみられることから、多分、押出しの奇異な現象を目にした里人によって、自然発生的に名付けられたものであろう。

 その鬼押出しの溶岩流が、天明3年の噴火の際に形成されたことは、鎌原村などを埋め尽くした“鎌原土石なだれ”層の上に形成されていることから明らかである。また、それが天明3年の噴火の最後のエピソードであったことも明らかである。しかし、大変不思議なことは、鎌原土石なだれなどの現象について、あれだけ詳細に記録を残している古文書や記録などの中に、鬼押出しの溶岩流についての記述が、一件もみられないとのことである。鎌原土石なだれの破壊が余りにも大きく、全ての人の目がそれに向けられていたことによるものであろうか。

 こうした鬼押出しの溶岩流の表面の形状について、浅間火山研究の第一人者である荒牧重雄は、上方からクリンカー型、割れ目型、破砕型そして塊状型と分類し、これらが連続的に変化推移したと指摘している。「鬼押出し園」などはこの内の破砕型部分にあり、大小さまざまな奇妙な形をした溶岩流が、不規則に累積されている。

 その規模は、山頂火口から北方へ約5.8キロ、幅は狭い所で約800メートル、広い所では約2キロとされ、その面積は6.8平方キロに達すると言う。堆積する厚さについては、平均すると30メートル前後と推定されている。この数値を基に体積を試算すると、約0.2平方キロとなり、石材の容積に換算すると約4億5千万トンとなる。これを10トントラックで運び出すと、実に4千5百万台分に相当することとなる。

 鬼押出しの溶岩流は、記録には残らない現象であったが、圧倒的な自然の巨大なエネルギーを今日に伝えている。

※この記事は広報つまごいNo.579〔平成11年(1999年)6月号〕に記載されたものです。

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