松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(四十三)

円通殿のこと

▲禅宗風の建物である円通殿

 干俣小学校の北西に隣接して円通殿は建つ。正面は三間、側面は変則的三間の方形造りの小型仏寺建築である。屋根はかつて茅葺であったが今は銅板を被せている。軒は二軒で下の軒は扇垂きとなっている。正面には唐風の派風のついた向拝がある。長押と桁との間の柱の上には枡形の組み物を用い、中備に蟇股を入れている。木鼻・海老虹梁には簡素な彫刻を用い、彩色も施されている。

 殿内の奥壁に寄せて須弥檀が設置されているが、それは三分割され、それぞれに禅宗様の意匠である花頭窓状の枠で仕切られ諸仏が安置されている。本尊は薬師如来とされている。

 ところで、古老の伝えるところによると、円通殿に隣接する教員住宅の辺りに、常林寺の先住旭邦本輝和尚が閑居した庵(寮)が在ったとされる。記すまでもなく庵とは僧侶の閑居する仏教的施設である。この庵に居住した僧侶には、禅師旭邦本輝和尚をはじめ『浅間大変覚書』の著者と目される雪山唄牛和尚など著名な僧侶達がいる。この事からここに庵が創立され存続していたのは、18世紀の中頃から19世紀の後半まで及んだらしい。そして、その名称は“日々庵”と考えられる。

 なお、この庵の創立については、現在円通殿に残る干川小平衛が奉納した位牌に、「此寮建立一切世話致し、並びに金十両寄付…」とあり、干俣村の分限者であり、しかも、名主を勤めた小兵衛が係わっていたこともわかる。

 通常、寺院に関係する建物には堂と殿がある。古くから在った宗派では堂を使った。観音堂とか阿弥陀堂などがそれである。これに対し、禅宗(臨済・曹洞宗)などでは、本尊を祀る建物を仏殿と言う様に殿を多用した。円通殿は小型ではあるが構造・技法・意匠・名称共に、禅宗様(唐様)の影響を色濃く残したもので、日々庵に所属した仏殿と見られる。そしてこれは、この山里に禅宗風の文化が開花した事を示すと共に、これが信仰と文化の拠点で在った事を物語っている。

※この記事は広報つまごいNo.566〔平成12年(2000年)1月号〕に記載されたものです。

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