松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(四十六)

今井東平遺跡出土の土偶

▲東平遺跡出土の土偶
(土屋泰氏所蔵)

 平成10年秋、三原の土屋泰さんは、自宅近くの畑で、今井の東平から運び出された残土の中から、奇妙な素焼きの土製品を発見した。

 それは、高さ7センチ程の下半部分を欠く人形で、横に広げた両手を、板状の胴部の上部に付け、その部分に顔面をも付けたものである。顔面は、真円に近く縁には沈線が一周する。目と鼻は隆起した細い線でY字状に、耳と口は円孔で表現されている。
背面には、小突起と小さな窪みが上下に配置され、周囲には、複数の花弁状模様が四方に向かって描かれている。

 このような特徴から、この土製品は、縄文時代の信仰的な遺物である土偶とみられるが、円盤状の顔面と、その顔面が胸の辺りに表現されているのが大きな特徴である。このようなものは群馬県では勿論、全国的にもその例をみない。

 土偶の機能・用途について、女神説・疾病身代わり説・安産護符説、そして、地母神信仰説などがある。最近では、母の姿をした像を壊し、各地に撒き、そこから「緑したたる大地を再生させる」という再生説が有力視されている。いずれにしろ、一族やムラの繁栄を祈願して、造られたものであろう。

 東平遺跡で発見された土偶が何を表し、どのように使用されたかは明らかではない。縄文人の意識の中には、精霊のあったことは間違いない。しかし、その精霊は、観念上の存在であって、その姿形を目にすることはなかったはずである。そこで、その精霊を実体化するにあたって、人体に似て異なるものを作りあげたと思われる。

 それにしても、真円に近い顔面は何を表すものであろうか。仮面とする観方もある。また、万物に恵みを施す太陽の精霊を表したものであろうか。はたまた、その満ち欠けから再生を象徴的に表す、月の精霊をそこに観たのであろうか。

 いずれにしろ、偶然に発見された一個の土製品によって、今から3,500年ほど前、嬬恋村今井の地に暮らしていた、縄文人の世界観を垣間見ることができるのである。

※この記事は広報つまごいNo.569〔平成12年(2000年)4月号〕に記載されたものです。

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