松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(五十一)

帰ってきた小仏像

▲十王堂の小阿弥陀如来坐像

 過日、干俣の宮崎英夫さんとの歓談の中で、二十数年前、県教育委員会文化財保護課を訪ねた際に、課長さんが引き出しの中から小仏像を取り出し「干俣の十王堂から持ち出された物だが、古く、そして立派なものだ」と話していたが、今はどうなっているのかなぁとのことであった。

 以来、件の小仏像探しが始まった。当時の県教委文化財保護課長、近藤義雄さんにお聞きすると、確かにそのようなことがあったが、異動の際に県立歴史博物館に保管を依頼したとのことであった。そこで、博物館に調査をお願いしたところ博物館に保管されていることがわかった。そして、博物館では「仮に預かったものなので、地元からの要望があれば返しますよ。」とのことであった。

 早速、この旨を宮崎さんに連絡したところ、地元関係者で相談し、是非返して欲しいと言うことになった。これによって去る平成12年6月21日、当資料館に於いて、県及び地元の関係者が集い、干俣区への返還が実現し、十王堂の小仏像は実に28年ぶりに嬬恋の地に帰ってきたのである。

 帰ってきた小仏像は、総高11センチ、像高6センチほどの小阿弥陀如来坐像であるが、その古拙さが素晴らしい。作成方法は、粘土を型につめて形を作り、それを焼いて造った“せん仏”ともみられるが、部分的に手作り的技法も取り入れられ“塑像”的要素もみられる。

せん仏にしろ塑像にしろ古代的な造像技法である。また、面相の柔和な表現、豊満な体くなど小さいながら古代的様相に溢れている。おそらく、古代末期から中世の初頭の頃に作成されたもので、現存する仏像としては“嬬恋村における最古の物”であろう。

 なぜ、小阿弥陀如来坐像が作られ、十王堂へ納められるようになったのかは謎である。ところで、阿弥陀如来は西の方、十万億土とされる“極楽浄土”におり、人が生命を終わろうとする時、迎えに来てその魂を極楽に連れていってくれるのだという。一方、十王堂は、閻魔大王を中心とした十王像を安置し、死者の生前における罪を裁く所と言う。この取り合わせが何とも奇妙に思えるのである。

※この記事は広報つまごいNo.574〔平成12年(2000年)9月号〕に記載されたものです。

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