松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(五十三)

東平遺跡の敷石住居跡

▲掘り出された敷石住居跡

 群馬県指定重要文化財“黒色磨研注口土器”を出土させた『今井東平遺跡』の第8次発掘調査が、嬬恋村教育委員会の事業として10月10日に開始された。今回の発掘調査地域は、東平遺跡とされる低台地の南端、今井川に面した今井字峯657番地1の市村今朝雄氏所有の畑で実施された。

 東平遺跡は、今からおよそ4,500年前から3,500年前の縄文時代中期から後期にかけての遺跡地で、これまでの発掘調査によって台地の縁辺を中心に十数戸の住居跡が発見調査され、縄文時代の“ムラ”の存在が推定されている。今度の発掘調査では、住居跡などを確認しムラの存在などを立証すると共に、東平遺跡の性格を究明しようとするものであった。

 調査は順調に推移し非常に良好な状態で、珍しい敷石住居跡を発見した。発見された住居跡は、床面を鉄平石と言われる板状の安山岩の割り石で、その表面を隙間なく丁寧に敷きつめたもので、その形は六角形をなし一辺の長さは2.15メートル前後対角線では4.30メートルを計り、極めて図形的に構成されたものである。

 床面敷石の周囲、各角に寄せては柱穴があり、それらの柱穴の間には、補助的な柱穴や周壁の痕跡もみられる。出入口は東南方に設けられたものとみられるなど、上屋構造にもある程度類推することができる。

 床面の中央部分には囲炉裏があり、その中には土器が埋め置かれている。囲炉裏に接して鉢状をした土器がある。他に巾着状の小型土器、磨製石斧、そして砥石などが発見されている。これらのものからこの敷石住居跡は、今からおよそ3,500年前(縄文時代後期初頭)のものとみられる。

 このような敷石住居跡は、縄文時代の住居としては特異なものとされ、主に関東地方西部や中部地方東部の山間地域に多くみられる。群馬県下では県指定史跡、高山村の「中山敷石住居跡」をはじめとして数十にのぼる発見がある。しかし、本東平遺跡の敷石住居跡は、そうしたものの中にあって、学術的に、また、文化財として、一段と精彩を放つものである。

※この記事は広報つまごいNo.576〔平成12年(2000年)11月号〕に記載されたものです。

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