松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(五十八)

東平の赤色塗彩土器

▲復元された“赤色塗彩土器”

 平成10年秋、東平遺跡の発掘調査の際に、“捨て場”とされる遺構の下層から、突然赤色塗彩の縄文土器片が出現した。土色一色の雰囲気の中に、水気を含んで一段と赤みを帯びたその土器の出現に、発掘の現場は一瞬緊張し、やがてそれは歓声と共に大きな喜びへと変わっていった。

 発見された土器片は、国学院大学、小林達雄教授のご示唆もあって、千葉県佐倉市にある、国立歴史民族博物館の永嶋正春先生による検討・保存処理が行われた。その後、専門家による復元作業がなされ、このほど見事に復元された“赤色塗彩土器”が資料館へ届けられた。復元された“赤色塗彩土器”は、大小2個であるが、そのうち大きいものが特に注目される。その大きさは、直径が44センチ、高さが20.5センチあり、高さの割りには口の大きく開いた朝鉢形をしたものである。

 ベンガラ(赤色酸化鉄)による塗彩は、口縁部を一周し、この土器のもつ明るい性格を見事に演出している。また、口辺部外側の文様は、それぞれ異なった文様による小区画三つを、一単位とし、これを三個連ねて全面に当て、併せては、小区画九つによって、構成されている。
わが国では古くから「三三」は吉数を三回重ねためでたい数とする考えがあったが、この土器の文様構成は、まさにそれを想い起こさせるものである。

 縄文土器には、煮炊きや貯蔵に使用した深鉢形土器の他に、盛り付けなどに使用される浅鉢形土器がある。このような土器は、特に、ベンガラや朱(水銀朱)によって、赤く塗彩されている。多分“聖なる土器”として、祝言などの慶事や埋葬などの祭儀に使用されたものであろう。

 東平遺跡で、この赤色塗彩土器が、どのように使用されていたかについては、この土器が捨て場に廃棄されていたことから、残念ながら明らかでない。しかし、この土器には、狩猟や採集によって得た収穫物を、山盛りにして中央に据え、これを囲んで明々と燃える火に頬を火照らせながら、歌舞に興ずる今から4,500年前の、東平の縄文ムラの群像を彷彿として蘇らせるものがある。

※この記事は広報つまごいNo.581〔平成13年(2001年)4月号〕に記載されたものです。

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