松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(六十)

鳴尾の梵字岩

▲『梵字五尊』拓影

 梵字は古代インドの文語を表記するために用いられた文字である。中国や日本では、梵字のもつ呪術的要素が強調され、広く仏教的な文物に取り入れられるようになった。とりわけ日本の中世以降には、石塔や板碑などで、梵字一字が一定の仏を表すようになった。

 門貝地区鳴尾の熊野神社参道入り口右側には、高さ約4.2メートル、下幅5.1メートル程の安山岩の巨石があり、その表面上部には、縦横20センチ程度の大きさで、力強く5つの梵字が刻まれている。

 その中で最も顕著なものは上部の3字で、三角形の頂点に当たる部分には『キリーク(阿弥陀如来)』底辺の右端が『サ(観音菩薩)』で、左端は『サク(勢至菩薩)』である。他にサクの下方に『バイ(薬師如来)』サの下方には『カーン(不動明王)』とみられる梵字が刻まれている。

 このことによって巨石に刻まれた梵字は、いわゆる“弥陀三尊”と、他に薬師・不動の二尊でであり、これが仏教的な信仰の対象であることは確かである。しかし、これが刻まれた時期については確かなことはわからない。

 ところでこの梵字岩と深く係わりをもつとみられる、熊野神社の奥の院には『アーンク(大日如来)』とされる梵字が刻まれ、文保3年(1319)とみられる記年銘がある。このことから、参道入り口の巨石に梵字が刻まれたのは、今からおよそ700年も遡る14世紀前半のことと思考される。

 阿弥陀如来は、念仏修行や功徳を積み重ねることによって、人の生命が終わろうとする時、その魂を西方浄土へ連れていってくれるのだと経典は説いている。そして弥陀三尊像は、阿弥陀が観音などの菩薩をひきつれ、死した信者の魂を来迎する姿だと言う。

 この梵字岩に刻まれた阿弥陀三尊像を象徴する信仰は、大日如来を中心仏とする熊野神社の信仰(修験道)とは別なものである。なぜ、熊野神社参道入り口の巨石に阿弥陀三尊像と薬師如来・不動明王の二尊が刻まれたのか、謎は深まるばかりである。

※この記事は広報つまごいNo.583〔平成13年(2001年)6月号〕に記載されたものです。

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