松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(六十四)

月待ちの夜

▲西窪にある『月待塔』

 月は太陽とは異なり満ちては欠け、欠けては満ちる現象があり、これが人々の心を引き付けた。古人は、この現象を繁っては枯れ、生まれては死ぬなど、地上の生命現象と重ね特別の感情を抱いたのである。月に対する信仰と伝説はここに起因する。

 それに基づく行事には、十五夜の他、月の出を待つ行事としての十六夜、十九夜、二十一夜、二十二夜、そして二十三夜などがある。この内十五夜は、どちらかと言えば月の恵みに感謝し、併せて名月を鑑賞するものであったが、十六夜に始まる月待ちの行事は、さまざまな願いをこめた現世利益的なものであった。

 特に、二十三夜の月待ちの行事は、県内そして全国的にも広く実施され、三夜様とか三夜待ちとも言われ、最も普遍的なものであった。この夜は、隣近所の者が宿に集まり、月に供物をしたり、飲食を共にしながら、月の出を待ち、夜を徹して除災と幸福を祈るのが一般的な形とされている。

 嬬恋村が、このような二十三夜の月待ちがどのような形で行なわれていたか、その資料は少ない。しかし、かつてこれが行なわれていたことは確かである。群馬県教育委員会が昭和47年に実施した民俗調査の報告書『嬬恋村の民俗』によると、今井、鎌原、芦生田、大前などの実施事例が紹介されている。

 特に目立つものとして、今井では「月が上がると“南無二十三夜トク太子”と拝み、線香や団子を供える。帰りは夜明け近くなる」と記している。また、大前では「饅頭を23個つくり、それを月が見える所に供え“オンコロコロ センダリ マトオギソワカ”と、三回唱える」と記している。なお、トク太子とは、二十三夜の主尊である“得大勢至菩薩”のことであり、オンコロコロ……とは“薬師如来の真言”であると解釈されている。

 また、嬬恋村教育委員会で発行した『嬬恋村の石造物』によると、田代、干俣、西窪、芦生田、袋倉の各地区に「二十三夜塔」が在る事を記している。 特定の日にムラ内の仲間が集まって、その夜の月の出を待ち、それを拝しお祈りをする事は、遠く原始信仰の月の崇拝に始まるとされる。月はまさに“母なる大地の神”だったのである。

※この記事は広報つまごいNo.587〔平成13年(2001年)10月号〕に記載されたものです。

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