松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(六十八)

種苗管理センター嬬恋農場

▲「往時を偲ばせる旧庁舎」

 馬鈴薯は、気象条件や地味などの諸条件に対して適応性が高く、食用や加工食品としてもその用途は広いことから、畑作物として重要な品目とされている。しかし、その増殖は塊茎(薯の部分)によるため増殖率は低い。また、塊茎には病原菌が付着・内在し易く病害の発生率が高い。こうした難点を克服するには、生産適地を選び、計画的に健全な種薯を生産し、これを供給する以外には他に方法がないとされている。

 このため、浅間山の北麓、標高1,230メートル前後に位置する田代の地に「農林省嬬恋馬鈴薯原原種農場」が設立されたのは昭和22年のことであった。最低気温がマイナス15〜20度を記録し、しかも、人里を遠く離れたこの地での作業は困難を極めた。しかし、関係者の並々ならない努力によって、この施設は発展を遂げ、西日本を中心とする全国各地に馬鈴薯の原原種を供給するなど大きな役割を果たしている。

 本シリーズ(No.7・18・50)において以前にも取り上げているが、嬬恋村の馬鈴薯栽培の歴史は古く、そして旺盛なものがあった。しかし、明治30年代に入って、ウイルスによる病気が発生し、遂に39年には壊滅的な被害をうけた。以後、嬬恋村の馬鈴薯栽培は一時的に衰退した。しかし、その後、嬬恋村の気象・立地がが、種馬鈴薯の栽培適地であることが判明し、昭和2年から田代に原種圃が設置された。ここに嬬恋村の種馬鈴薯栽培が開始され、これが、やがて原原種農場へと連なるのであった。

 昭和61年、馬鈴薯原原種農場は、わが国の種苗行政の拡充を目指して「農林水産省種苗管理センター」として再編された。さらに、平成13年からは「独立行政法人種苗管理センター」と改組され、

 現在

1)健全無病馬鈴薯の原原種生産と配布
2)植物遺伝資源の保存と増殖
3)新品種登録のための栽培試験
4)先端技術を種苗業務に応用するための調査研究

などを行なっている。

 嬬恋村の自然と歴史を背景にして成立した馬鈴薯の原原種農場は、種苗管理センターと改組されたが、時代に即応した新しい農業の創出を目指して大きな取組をしている。

※この記事は広報つまごいNo.591〔平成14年(2002年)2月号〕に記載されたものです。

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