松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(七十六)
鎌原の獅子舞
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▲御幣の舞
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安政7年(1860)鎌原村の名主であった金兵衛の記した『浅間山焼荒之日并其家并名前帳』によれば、「当鎌原村の儀は、天明三年浅間押出し、……土中にうずみ、何品に不限天明二年以前の姿は無之……」
と記している。虚無の地と化してしまったのである。それが何時の頃のことか、この地に獅子舞が取り入れられ今日に伝承されてきたのである。
鎌原の獅子舞は、一年のうち2回、春は4月30日、秋は9月9日、鎌原神社の宵祭りの際に実施されている。当日は、保存会などの人によって周到に準備され夕刻を期して、まず、拝殿前で神前奉納が行なわれる。その後は、神社を出て区内6ヵ所において舞われるのである。
この獅子舞は、保存会長横沢基夫さんによれば、長野県の諏訪から伝えられたと言う。それを裏付けるかのように、鎌原の獅子は、獅子頭に一人、後かぶり二人で舞う“三人立一匹獅子”とされるもので、北陸、中部地方にみられるものである。
囃子方は、一人で打つ太鼓・締太鼓、数人によって奏でる笛によって構成され、舞はこれらの囃子方によって進行される。舞の構成は「片拍子」とされる入場の場面に始まり、‘ヨーイ’の掛け声で「序の舞」に移る。‘シメタラコキアゲロ’の掛け声で「鈴の舞」となる。この時提灯を持った子供たちが舞いの中に入る。獅子のお出ましを歓迎するかのようである。獅子はこれを受けて、気合を掛かった舞と、静かな舞を交互に繰り返す。
舞はその後、「御幣の舞」へと移る。その時、
<舞いりゃする ハ
ヤレー神を ドンドン
いさめられたら
ひとおどりはなつ
おおどりすぎたら
またきて舞いましょ
それは ヨイトコショ>
などの舞唄も入る。
この後、いよいよ「厄払いの舞」となる。地に這うように身構えた獅子がじょじょに立ち上がり、激しく誰彼となく噛みつく動作を繰り返す。周囲は騒然となり、まさにクライマックスの状態に達する。
これら獅子の舞う一連の動作は、約15分と比較的短いものであるが、そこには、かつて未曾有の災害を受けた地に住む区民の、神を鎮め五穀豊穣と除災招福の願いが込められている。
※この記事は広報つまごいNo.599〔平成14年(2002年)10月号〕に記載されたものです。
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