松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(八十二)

的岩を訪ねる

▲的岩を南万から見る

 『嬬恋村誌』に的岩についての記載がある。要約すると、「建久年間、浅間野に狩りに来た頼朝は、この岩を見て珍しく思い、岩を的にして矢を射させることにした。この話を聞いた力自慢の男が、…中略…持っていた握り飯を、岩に目掛けて投げつけた。岩には大きな窪みができた。その大きさは三尺ばかりだった。」

 と、的岩に係わる言い伝えである。勿論、実話ではない。

 この的岩を、昨秋、上下水道課の宮崎芳弥係長の案内で、滝沢益男文化財調査委員、教育委員会黒岩則行スポーツ文化係長、郷土資料館熊川紀世彦主任、そして筆者等で訪れた。鳥居峠から管理用道路を長野県との境に沿って進む。終点に達するといよいよ登山道となる。1キロ程の急峻な道を約45分登ると、あたりは急に開けてくる。立ち止まって前方の樹間を見つめると、城壁のような巨大な岩が屹立している。的岩である。

 この的岩は、的岩山と吾妻山を結ぶ尾根上、標高1,769メートル地点に、北より東約30度の方向を軸として直立する。その長さは、約200メートル、高さは20メートルに達する。厚さは2〜3メートルと薄い。正に、巨大な屏風を思わせるものがある。その構造は、柱状節理の発達が著しく、長さ2〜3メートルの六角柱状の俵を積み重ねたような感じでもあり、頂上に向かっては階段状の構造も見られる。

 岩質は、含橄欖石複輝石安山岩とされる。その成因は、地殻の中のマグマが、その上にあった火山砕屑岩層の割れ目に沿って、板状に貫入し凝固した。それがその後、侵食によって周囲の脆弱な部分が排除され、硬質な本岩のみが地上に露出したものとされる。

 その眺めは、壮観であると同時に自然の妙味を感じさせるものが十分にある。また、火山地質学的にも非常に貴重なものとされ、昭和15年には国の天然記念物に指定されている。

 ところで、この所在地は、明らかに群馬と長野との県境にありながら、どうしたことかその所有者は、「真田町外一市一町共有財産組合」とあり、その管理は「真田町」とされている。

 的岩は少なくともその半分は嬬恋村の行政区にありながら、「嬬恋村の文化財」としては、認定されていないのである。

※この記事は広報つまごいNo.605〔平成15年(2003年)4月号〕に記載されたものです。

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