松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(八十八)
環境教育について
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▲後を絶たない不法投棄
(15年10月2日撮影) |
過日、昭和54年「埋没村落“嬬恋村”の発掘調査」の際に収録したビデオを見た。多分7月から8月にかけての頃のものであろう。セミの声が煩い程収録されていた。また、私が細原に住みはじめた平成6年の頃、青葉の候ともなれば、ウグイス、ホトトギス、カッコウなどが鳴き競い、野鳥の宝庫であった。
ところが最近はどうか。資料館の周りではほとんどセミの声を聞かない。また、細原では小鳥の鳴き声、飛び交う姿も稀となってしまった。こうした変化が何故起こったのか。また、これが単なる局地的なものなのか、そして、このことが人間の生活に影響があるのか無いのか、専門家でない私には分からない。
しかし、これがいわゆる“生態系の変化”であることは間違いないことであろう。今、私たちの住む嬬恋村にも、生態系の変化が現れ、それが進行しつつあるとみることは、あながち、的外れの思いではないだろう。
ところで、『平成3年度版白書』(環境庁編)では、環境の現状として、野生生物種の減少などをあげている。そして、これらは今日、または将来の私たちの生活を脅かすものと考えるとし、解決すべき緊急な問題として指摘している。
こうして情勢の中、嬬恋村で平成13年4月「第4次嬬恋村総合計画」を策定し、基本構想の村づくり理念の中に“環境”を取り組み、基本計画の中では「環境教育」を掲げた。これを受けて、教育委員会では平成13年度「新5ヵ年計画」を策定し、その中で環境教育の推進・充実・評価(発展)を掲げた。誠に時宜を得た施策とされよう。
ところで、環境教育とはどのようなものであろうか。一口で言えば、大気汚染や野生生物の減少などの環境問題に対して、教育の場を通して対応しようとする活動である。もちろん、その教育の場とは学校教育の中だけのことではない。むしろ、社会教育の中でで生涯学習などの対応を考えることが必要とされている。そして、その考え方としては、“環境との共生”を指摘する面もあるが、「人間は環境(自然)によって生かされている」と言う大前提を忘れてはならない。
嬬恋村がそして教育委員会が策定した“環境教育”の推進・充実・評価(発展)について、その具体的な展開が望まれる。
※この記事は広報つまごいNo.611〔平成15年(2003年)10月号〕に記載されたものです。
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