松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(九十)

鬼岩を訪ねる

▲鬼岩の奇勝

 四阿山は、「元禄国絵図」によると、「あつま山、信濃国にても同名……」とある。これを漢字で表す場合、「吾妻山」とし、アヅマ山あるいはアガツマ山と読んでいたに違いない。

 ところで、語源となった“アツマ”について、10世紀に書かれた辞書『和名抄』によれば、辺鄙(片田舎)と記している。あつま山とは、都から離れた不便な土地にある山という意味なのかも知れない。

 しかし、この吾妻山は、日本古来の山岳信仰と、密教(天台・真言宗)との習合によって成立した修験道にとっては、霊地としてあるいは修行の場として重要であった。そこは、現実社会から懸け離れた鬼神の住む所であり、世人の容易に近づくことのできない場所であった。

 その吾妻山に、“鬼石”を訪ねたのは、去る8月29日のことであった。例によって上下水道課の宮崎芳弥係長に案内をお願いしたところ、宮崎係長は一場清志観光商工課長に参加を要請し、私への支援体制を固めた。また、教育委員会からは黒岩則行係長、土屋和彦主査が指定文化財の現地調査として同行し、それに資料館の熊川紀世彦主任と筆者が加わり、6人が一団となった。

 行きはパルコールのゴンドラを利用して吾妻山山頂を目指した。このため比較的容易であった。帰りは、山頂から鬼岩経由で、干俣の専修大学施設脇の登山道入口へのコースを辿った。この約8キロの行程は、ロープを必要とするような箇所もあって難儀し、5時間弱を要する苦行であった。

 途中、標高1932メートル地点の尾根上に、ほぼ東南東の方向に、軸をとって鬼岩は直立していた。長さ140メートル、高さ約8メートル、厚さは2〜3メートルと薄い。成因はマグマが火山砕屑岩層の割れ目に貫入凝固し、その後、周囲の侵食によって、地表に露出したもので、成因・外観共に天然記念物“的岩”に類似する。

 屹立する鬼岩上に宮崎係長と立った。吾妻山南面の深い森林に覆われた、広漠とした山襞を眼下に見下ろした。足下からは途切れることなく清澄な風が吹き上げる。その中で、何時しか俗界を離れ、冥界にあるような錯覚にさえ捉らわれた。

 吾妻山を舞台に修験道の行者達は荒行によって呪術や法力の習得に努めた。鬼岩にその世界を垣間見たのである。

※この記事は広報つまごいNo.613〔平成15年(2003年)12月号〕に記載されたものです。

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