松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(九十四)

舞台公演される“浅間”

▲小説“浅間”直筆原稿
(郷土資料館保管)

 昨年5月、作家立松和平は、天明3年浅間山の噴火によって埋没した“鎌原村”を題材とした小説「浅間」を雑誌『新潮』に発表し、9月には単行本として新潮社から刊行した。これを受けて、NHKのFMラジオでは1月3日「オーディオドラマ浅間」として放送したが、劇団スケッチ座(代表清水こうせい)でも、この演劇化に取り組み、この程、池袋サンシャイン劇場をはじめ各地で公演することとなった。

 こうした動きの中で、劇団側は、小説の舞台となった嬬恋村での公演を希望し、過日、村内関係者が集まり検討した結果、村内での舞台公演が現実することとなった。

 舞台化される小説「浅間」の粗筋は、山深い鎌原宿の貧しい家に育ったゆいは、16才の春、中山道の板鼻宿へ3年間の年季奉公に出た。不本意な奉公生活の中で、ゆいは決して将来の希望を失わなかった。蚕種を持ち帰り、故郷に恵みをもたらせようとするものであった。

 難儀な3年間の奉公が明け、ゆいは蚕種を持って村に帰ったが、村人のゆいを見る目は必ずしも温かいものではなかった。しかし、延命寺の和尚などに支えられて、万次郎とも結ばれ、養蚕の飼育も軌道に乗り、村は活気づき平穏な日々を迎える。ところが、それも束の間、浅間山の噴火によって、村は一瞬にして埋め尽くされ荒涼とした姿と化してしまったのである。

 ゆいは生き残った。夫の万次郎、娘のすま、母のとよの姿は無かった。何もかも失ったゆいは、村の復興のため新しい家族に編成され、蚕のように4度目の苦難を経て蘇るのであった。

 舞台となった鎌原村に伝わる古文書に、弘化4年(1847)鎌原村の百姓が大戸村の加部安左衛門に宛てた「奉公人差し出しの証書」がある。それによると、23才の娘を、身代金及び支度金など併せて4両2分で1ヵ年の年季と定めるとある。4両2分とは、米に換算すると約5表分で、これを現在の紙幣価値で表すと15万円前後にしかならない。しかも、その代金は、娘本人に渡されるものではなく、親元へ渡されるのである。

 小説や舞台で公演される「浅間」は、決して史実ではない。しかし、全くの虚構ではない。学ぼうとする強い意志と感性に対して、何らかの刺激を与えてくれる筈である。

※この記事は広報つまごいNo.637〔平成16年(2004年)4月号〕に記載されたものです。

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