松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(九十六)

三原三十四所観音札所

▲十二番観音札所
(三原〔中居村下屋〕所在)

 ここで言う三原とは、平安時代後期から鎌原時代にかけて在ったとされる“三原庄”とされる荘園名に因むもので、嬬恋村を中心とした吾妻郡西部一帯の地を指すものである。ここに、江戸時代「三原三十四所観音札所」が存在していたのである。

 仏教では、仏を大きく分けて、如来・菩薩・明王・諸天とするが、菩薩の中で観世音に対する信仰は、古くから民衆の中に深く浸透していた。その観音には三十三体もの変化した姿があり、そうした変化観音の霊場を巡り、参詣した寺から証の札を交付して貰うことを札所巡礼と言った。その最も有名なものは西国三十三札所、続いて坂東三十三札所であったが、これに影響されて上野国内でも15ヵ所にのぼる観音札所が成立していた。

 三原三十四所の札所は、長野原町の造道の聖観音から始まり、与喜屋・応桑の諸観音を経て、嬬恋村分の観音札所に至る。

 以下、嬬恋村分の観音札所と、その札所に関わる御詠歌について紹介することとする。

 7番 芦生田 准胝観音
<あしうだも よしや浪速の ことのはも ただひとすじに たのむかんおん>

 8番 鎌原 十一面観音
<かまはらや 浮世のちりを かりすてて こころのつきも くもりあらじな>

 9番 干俣 円通殿
<のちの世を なげきてそでや しぼるらん 今ほしまたと きくぞうれしき>

 10番 門貝 (観音堂)
<こころをば まろくもまろく いのるべし かどかいなれば さわりあるべし>

 11番 大笹寺 (観音堂)
<あかばねや とびきしあとを たずねきて おやのちぎりに ここで大笹>

 12番 中居 下屋
<あらたかに ここで仏に いわい堂 むつのちまたの 辻にまよわじ>

 13番 袋倉 (向の原)
<ひとすじに 祈れば叶う ふくろぐら 未来はなほも たすけたまへや>

 14番 今井 (今宮堂)
<あらたかに 今宮さまと おがむべし 大悲のかげや くもりあらじな>

 この三原三十四所観音札所が、何時定められたかは明らかでないが、時に巡礼者が白装束の巡礼姿で、このコースを辿ったのであろう。

※この記事は広報つまごいNo.639〔平成16年(2004年)6月号〕に記載されたものです。

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