松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(九十七)

三間取りの民家

▲山口伯明さん住宅(門貝地区鳴尾)

 毛無道に沿った門貝地区鳴尾に集落が形成されたのは、熊野神社の“奥の院”に刻まれた銘により、鎌原時代の文保3年(1319)の頃にまでさかのぼる。しかし、鳴尾集落に現存する民家は数軒しかない。その一軒が山口伯明さんの家である。山口さんの家は、建築後大きく四度改築されていると見られるが、その平面形や構造そして技法などからして、古い民家の面影を随所に残している。

 山口伯明さん宅の間取りの原型は、桁行八間・梁行四軒の規模を持ち、その平面形は「三間取型」とされる民家である。その形状は桁行の中央で東西に二分され、一方(東側)を土間とし、他の部分(西側)を床上部とする。トボー(入口)を入るとデードコ(土間)と言われる作業場があり、その東側にはウマヤ(馬屋)が二つならぶ。奥の方には、炊事・調理の場所があったらしい。床上部は、土間よりにデーザ(出居座)と呼ばれる居間があり、その奥にヘヤ(座敷)がある。そして、デーザとヘヤの裏(北)側には、細長いナンド(納戸)とされる、県内では珍しい寝部屋がある。

 屋根は寄棟造で、以前は萱葺きであったが、現在ではトタンを被せている。そして、その小屋組は軒が低く、元来は天井や床の間はなかったらしい。また、土間と床上との境の仕上げは、チョウナ(手斧)削りであり、柱間装置は閉鎖的である。

 農家の間取りは、農作業や炊事に必要な土間を基本にして、それに居間や寝床などの床上が付け加えられ、その後、用途に応じて縦に横に部屋数が増し、その結果、東日本では“田の字型”とされる典型的な間取りが成立したとされる。

 昭和48年の群馬県教育委員会による民俗調査によると、嬬恋村に残る近世の民家として、その間取りから二間取・三間取・喰違四間取、そして多間取の四型をあげている。このうち、三間取型の山口氏宅は、18世紀の中頃に建築されたものとみられるが、随所に古い手法を残すなど、現存する民家の中で、門貝地区や嬬恋村の昔の生活を知る上で貴重な文化財である。

※この記事は広報つまごいNo.640〔平成16年(2004年)7月号〕に記載されたものです。

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