松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(九十八)

嬬恋にあった巨大な湖

▲嬬恋湖成層(高羽根沢)
〔嬬恋村誌口絵より引用〕

 地球の歴史は、今から約200万年前を境に、新生代第三紀から第四期へと移りました。この時期、群馬を象徴する多くの山々が形成されました。いわゆる火山と言われるものです。火山は、噴火によって山体を形成するだけでなく、溶岩や火山灰などの噴出物によって、地形を大きく変えました。

 私たちの住む嬬恋村も、その頃、地形を大きく変えました。

 『嬬恋村誌』には、「嬬恋湖成層」についての記載が見られます。この層は、水平状に細かい縞目の粘土層やシルト(砂と粘土の中間の細かさをもつ土)層、そして砂礫層などによって成立し、比較的静かな水の中で堆積したものとされています。

 その範囲は、吾妻川に沿って東端は長野原町与喜屋の西方、西端は田代の発電所付近、南側は長野原町応桑そして大前の細原開拓付近、北側では長野原町洞口付近を限界とするとし、その規模は東西11.5キロメートル、南北は9キロメートルにも達するとされています。その標高は、680メートル(古森)から990メートル(干俣)まで認められ、その差は、310メートルにも達します。したがって、その水深も、ただならぬものであったと思われます。

 この、湖成層とされるものは、今からおよそ10数万年前の新生代第四期の頃の堆積とみられ、そこには巨大な湖の存在が考えられ、これを研究者たちは“古嬬恋湖”と呼んでいます。

 その成因について、吾妻川は今と違って、嬬恋高原を北から南方に向かい長野原に流れ込んでいたものと思われますが、その流路に今日浅間山とされる新しい火山が誕生しました。このため流路は、山体や噴出物によって塞がれ、古い吾妻川は、嬬恋村側に大きな湖をつくったものと推定されています。

 なお、この湖から溢れた水は東方に向かって流れ出し、吾妻渓谷では、硬い岩盤をV字状に侵食するなど、不自然な状態を示しながら、現在の吾妻川になったと考えられています。

 古嬬恋湖のあった頃は、地球上に人類が登場した時代とされていますが、嬬恋の地に人が住んでいたかどうかは分かりません。しかし、この地には満々と水を湛えた湖があり、それを囲んでゴヨウマツ・ツガ・トウヒなどの山地帯上部の植生が茂り、その中に“シガゾウ”とされる古い象がいたことは確かです。

※この記事は広報つまごいNo.641〔平成16年(2004年)8月号〕に記載されたものです。

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