松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(百)

噴火予知への試み

▲噴火予知への試み
(嬬恋村上水道第一水源にて)

 浅間山頂から北方斜面を直線距離にして約7キロ、「鬼押出し溶岩流」の末端、標高1,180メートル地点に「嬬恋村上水道第一水源(鎌原用水源)」はある。この水源は、毎時450トンの豊富な湧出量と、1年を通して水温4度と、安定した良水を供給する水源として、昭和47年以来利用されている。

 この湧水について、岩上武氏所蔵の古文書の中に、次のような記述がある。

「天明三年浅間山噴火の際、浅間腰から温泉が湧出したので翌四年正月に役所にお願いし、大笹宿に湯を引くこととし、黒岩長左衛門が費用を出して事業に取りかかり、左太夫屋敷へ湯小屋を建て、五年七月には完成したので開湯した。」とある。

 大笹宿に開かれた湯宿は、その後「湯治規定」や「長左衛門の事業への出費状況」から見ると、その営業は享和元年(1801)頃までの20年近く続いたらしい。廃業の理由は明らかではないが、どうやら湯温の低下にあったらしい。

 これらのことにより、嬬恋村水道第一水源の湧水が、天明3年の浅間山噴火の際に高温となり、それが温泉として20年近く利用されていたことは確かである。

 浅間山と向かい合って生活する嬬恋村にとって、火山災害は避けて通れないことでもある。こうした中で、火山災害を最小限にくい止める方策の一つに、噴火の予知体制を確立し、その機能を発揮させることがある。ところで、これについては、これまで、国の専門機関や大学の研究機関に任されてきた。

 こうした状況にあって、嬬恋村郷土資料館では、嬬恋村上水道第一水源において、9月16日から平成18年7月まで、毎日1時間毎の水温計測を開始した。また、これと平行して、噴火活動状況の変化に応じて、適宜計測を行うこととした。

 天明3年の湧水の温度の上昇が、溶岩流によって熱せられたことによるものか、それとも“マグマ”の活動に係わるものなのかその原因は必ずしも明らかではない。しかし、若し、マグマの活動に係わるものかその原因は必ずしも明らかではない。しかし、若し、マグマの活動に係わるものとしたら重要なこととなる。それは、噴火の予知に利用できる可能性を秘めているからである。

 資料館は、専門性の高い研究分野に参画すると同時に、過去の事例を現在に生かすことができるかどうか、歴史学の命題に取り組み始めたのである。

※この記事は広報つまごいNo.643〔平成16年(2004年)10月号〕に記載されたものです。

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