Vision__(3)

だから今こそ自然体験


■自然体験は金になるのか

【答え】:自然体験は金にならない。正確に言うと純粋に自然体験だけを商品として見た場合、いくら取り扱い販売してもほとんど利益は出ない。自然体験活動を推進する私としては全く困ったことなのであるが、実際、これまでやればやるほど貧乏になっていくようなことが多かった。つらい思いをすることが多かったのだ。しかし最近様子が変わってきた。交通費や昼食代、教材を購入できるだけの小遣いが得られるようになってきた。そして、金にならなくとも地域社会の仕組みで元が取れるようになってきた。住民が人間文化の根源である自然にこれまで以上に目が向くようになり、新たな人との交流が生まれ、自然体験が地域社会の潤滑油となってきたのだ。

では、その自然体験活動と対極に位置すると考えられる、あくなき利益を追求したセールス活動、経済活動のほうはどうだろうか。これまでのように大儲けできているのだろうか。どうもそうでもなくなってきた時代のようである。

■「将来、何になりたい?」

大人たちは、こぞって子供たちに「将来、何になりたい?」と聞く。やりたいことがありながら事情が許さず、いたしかたなしに現在の仕事に就き、深みにはまり脱出できないでいる大人たちは、果たせなかった夢を子供たちに託し、またあらゆる可能性を持っていた幼き日の自分を思い、情景を重ね合わせる。

一方、聞かれた子供たちは、大人たちがまるで呪いにでもとり憑かれたように話す仕事のことや疲労っぷりを見て、将来仕事をしたいなんて誰も思っていない。でも、大人たちが馬鹿みたいに聞くもんだから、目は完全に空を見ながら「野球選手」「パイロット」とか、「大学教授」とか言ってみせた。大人たちはその様子を見てさも嬉しそうだった。やがて数十年が経ち自分もあの死んだ目の大人になった今、子供たちに「将来、何になりたい?」と思わず聞いてしまいそうである。やばいやばい。

子供の頃、貧しい家庭に育った私は、あまり肉を食べることができなかった。そして何からそうなったのか良くわからないが、焼きしいたけが牛肉のような味がした…いや、もっと美味しかった。あのジューシーなきのこを食べたい。だからビニール袋を片手によく森に入った。家計を助けているような気もして少し誇らしげだった。わけのわからないきのこをいっぱい採ってきて良く母を困らせた。どんなに私が「ねえ、これも食べてみたい。」とせがんでも怪しいきのこは決して鍋に入れなかった。山の幸に別段明るかった訳でもないのに、母のあの嗅覚というか野生本能には本当に感謝している。今思うと、あのビニール袋の中には間違いなくオオワライタケとニガクリタケが入っていたからだ(笑)。しかし、それでも、「将来、きのこ博士になって毎日きのこを採って暮らす」とは言わなかった。子供心にもそれで食べていけないことは解っていたからだ。

■だから今こそ自然体験

この時代、まともにセールスをしてみたところで誓約率はせいぜい0.1%位だという。何をやったって大金を稼ぐことが困難なのであれば、好き勝手なことをして0.02%の誓約率でも良いではないか。こんな時代だからこそ、利益度外視した、人間生命の本質を取り戻すような商品や生き方に価値があり、やるべきなのである。…言葉が悪いが、いくら真面目にやったって損することもあるし、私たちの金を稼ぐ活動がどれほど価値があるのか解ったものじゃない。多くの経済活動は地球にとってありがたくないものばかりなのである。だから今こそ、あの夢を実現するのだ。子供の頃大好きだったきのこ狩り。今なら、きのこ狩りツアーを企画実施してほとんど利益が出なくても、周囲だってあんまり儲けてないのだからいいじゃないか。仕事に没頭し続ける人生よりは遥かに精神的な豊かさを獲得できるし、生きている感覚だって呼び覚ますことができる。何よりも楽しんでできることが一番いい。

儲けようとしてあくせく働きまくっても、たかが知れた財産しか手に入らない。だから、今こそ自然体験なのだ。


(2007年4月)

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