草津の自然スキルアップ研修 森にふれ、自然を学ぼう

と き: 2008年8月31日(日)
じかん: 9:15天狗山出発
ところ: リンドウ咲く芳ケ平  満喫コース

リンドウの刈りだし
リンドウの刈りだし
 
案 内: 吉田副会長
アシスタント: 赤坂、杉田、湯田
コース: 弓池駐車場・・芳ケ平・・湿原・・野営場・・白根神社本宮・・駐車場
以下は実施メモ(インターネットより引用)

吉田一穂「山媛呼」詩碑

吾妻はや 白根の峯に けむりたつ
よひて声あり 古ゆ これのやまひこ山媛呼
たきついてゆの おもひに咲くや 石楠花

プログラム
9時50分 ※気分調査1
10時00分スタート
1.手ジタル信号1( 4秒)12人 ここからは吉田さんが案内します。
白根神社奥宮で
①神話を楽しむ。
②気の体験 手ジタル信号2(3,2 2.8秒)12人
※気分調査2 弟橘媛命の海に沈んだ情愛

日本書紀によると

「東蝦が多くそむき、辺境が騒動するので」これを鎮圧するために東に向かう。

東蝦のなかでは、蝦夷がもっとも強く、彼らは毛皮を着て、血を飲み、山に登るときは飛ぶ鳥のようにはやく、草の中を行く時は獣が走るようにはやい。

そこで尊はこの強敵をうつために、まず伊勢の神宮に参拝し、それから駿河、焼津をへて、相模から三浦半島を横断して走水にやってきた。

上総国に渡るときに、尊は浦賀水道を見て「まことに小海(ちいさななうみ)だ。このような海なら立走りでも渡れるだろう」とつぶやいた。

いざ船をだすと、尊の言葉が海神に聞こえたのか、大波が船のへさきにたちはばかり、
船が少しも進まない。

このようすをみた后の弟橘媛命は尊のことばを心配しこれは、「これは海神の心でありましょう。私があなたにかわって海に入り海神の心をしずめましょう」と申しでた。

やがて后はしずかに、スゲの畳八枚、皮の畳八枚、絹の畳八枚を敷きおわると、

「さねさし相武(さがむ)の小野(をの)に、燃ゆる火の、火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも」

とうたをよんで、荒れ狂う海に身を投げた。
すると不思議にそれまで荒れていた波が静まり、御船は無事上総国へ進むことができた。

吾嬬者耶 あずまはや

古事記(712年)では足柄峠
日本書紀(710年)では碓氷峠
嬬恋村では鳥井峠
草津では弟橘嶺

東征の帰路峠にたった日本武尊は、はるか東南を望み走水の海に入った、妻弟橘媛を偲んで「吾妻はや!吾妻はや!吾妻はや!」と長嘆息する。以来、東の諸国が「あずまのくに」と 呼ばれることになったという。

※うたの解釈 「相模の野に燃え立つ火の中で私の心配をしてくださった貴方」

※相模の国に行くと弟橘媛とともに野原に誘い出され四方から火をつけられました。 その時、あめのむらくもの剣で草を薙ぎ倒しました。 火打ち石をとりだして、こちらからも火をたいて難を逃れました。それ以来この剣を草薙の剣といい、この場所を焼津といいます。

メモ欄

ミント水・・・好きなものをつくりませんか?

芳ケ平の花たち

名前     花色又は実
アカモノ       赤
シラタマノキ    白
ミネズオウ     茶
ヤナギラン     ピンク
ツマトリソウ    灰色
イワオトギリ    黄色
オヤマリンドウ    紫
エゾリンドウ     紫
クロマメノキ    白からピンク
クロウスゴ     黒
ガンコウラン    黒
ヤマハハコ    白
ハンゴンソウ   黄色
ゴマナ       白
ヨツバヒヨドリ   白から薄いピンク
コバギボウシ  紫
シロネ       白
ホツツジ     白からピンク
ネバリノギラン  肌色
ヤマハギ     ピンク
ツルリンドウ   白~青紫
ウスノキ     実  赤
モウセンゴケ  白
アカバナ    ピンク
バギボウシ   紫 


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