「関東の邪馬渓」と称された国の名勝『吾妻峡(吾妻渓谷)』を、長野原町の町花『ムラサキツツジ(ミツバツツジ)』の咲く頃に散策します。
元々、吾妻渓谷は吾妻を東西に分断し、人馬の通行を拒絶した大難所でした。永禄六年(1563年)、真田幸隆の軍は長野原町林(諏訪ノ郷)からどのようにして岩櫃城へと進軍したのでしょうか。『道陸神峠-雁ケ沢』を通った可能性は果たしてあったのでしょうか。
現在残っている『道陸神峠越えむかし道』を訪問散策し、当時、幸隆が通った道を思案してみたり、吾妻渓谷路の道路開削に尽力した二人の「野口氏」のこと、そして民衆の働きなど、道路開削の歴史についても触れてみましょう。吾妻渓谷の花と渓谷美を鑑賞するだけではなく、古道を訪問散策し、それを取り巻く歴史や人々についても学び偲ぶエコツアーです。
■ 『吾妻渓谷』と『道陸神峠越えむかし道』探索エコツアー
~ 『ムラサキツツジ(ミツバツツジ)』咲く渓谷 ~
【日程】
平成27年 4月25日(土) 9時~15時頃
【集合】
道の駅あがつま狭 駐車場 9:00
【コース】
道の駅あがつま狭 ⇒ 姥小平 ⇒ 鹿飛橋 ⇒ 渓谷トンネル ⇒ 龍ノ剣磨岩 ⇒ 道陸神峠道(むかし道) ⇒ 屏風岩 ⇒ 樽沢隧道 ⇒ 若葉台(白絹の滝) ⇒ 道の駅あがつま狭(解散) ⇒ 場合によっては有志で付近を散策もあり
【対象】 軽登山ができる健康な男女
【募集人数】 20名(先着順)
【参加費】
一般3,000円/会員1,500円(傷害保険料を含む)
※関係機関、連携団体の方は応相談
【服装・持ち物】
長袖、長ズボン、リュックサック、登山靴、飲み水、弁当、雨具、ゴミ袋、身分証明書、タオル、靴ひも予備、行動食、防寒着、防寒帽、筆記用具、自然観察用具など
【主催】 NPO法人 浅間・吾妻エコツーリズム協会
【申込方法】
以下のボタンよりオンライン申し込み画面へ進み、必要事項をご記入し送信してください。【お問合せ/申込先】
〒377-0801 群馬県吾妻郡東吾妻町原町5103 小池宅
NPO法人 浅間・吾妻エコツーリズム協会 赤木道紘まで
TEL/FAX:0279-25-7593 携帯080-5655-3009
E-mail : infoアットマークecotourism.or.jp【申込〆切日】 4月22日(水)
【このイベントのチラシURL】
『吾妻渓谷』と古道『道陸神峠みち』探索エコツアー ~ ムラサキツツジ(ミツバツツジ)咲き乱れる渓谷 ~
■ 案内人プロフィール
浦野 安孫(うらの やすひこ)
1948年長野原町林地区生まれ。、地元の第一小学校を卒業。教職を退職後、赤城山の自然解説、県内小中学校のフォレストリースクール講師、吾妻渓谷、王城山エコツアーガイド等を務める。ぐんま緑のインタープリター、Nacs-J自然観察指導員。
■ 吾妻渓谷について
吾妻渓谷は、吾妻川に架かる雁ガ沢橋から八ツ場大橋までの約3.5キロメートルにわたる渓谷です。中でもハイキングロードなどが整備されているもっとも風光明媚な部分を「吾妻峡」と言い、1912年(大正元年)に地理学者である志賀重昂(しげたか)から「関東の耶馬渓」と称された景勝地で、1935年(昭和10年)12月には国の名勝に指定されています。そば立つ懸崖や奇石、滝など変化に富んだ見どころが続き、渓谷の美しい眺めを一望できる見晴らし台もあります。若山牧水をはじめとし、多くの文人歌人に愛されてきた渓谷です。
春は新緑に先立って、ミツバツツジの紅紫色の花が咲みだれ、次いでキブシ、ヤマブキ、アオダモ…と、様々な花が開花し、また紅葉の頃はカエデ、アカシデ、ツツジ類の紅色、イヌブナ、ケヤキ等の黄色で渓谷全体が燃えているかのような風景が広がります。樹木・野草の種類も豊富で、植物観察にも最適です。
地形の成因は、700万~500万年前、碓氷火山列(鼻曲・浅間隠・菅峰・王城山・高間山・松岩等の山々)の火山岩層が急激に隆起したため、地層中に断層や割れ目が生じ、そこに沿って吾妻川が流入、長い年月をかけてさらに深く侵食した…と考えられています。「川原湯岩脈」は、さらに古い約1000万年前(新第三紀・中新世)、地下深所からマグマが脈状に侵入し冷え固まったもので、「昇竜岩 (しょうりゅうがん)」「臥竜岩(がりゅうがん)」が国指定天然記念物となっていますが、同様のものは渓谷内で他にも見られます。
■ 道陸神峠について
元々、吾妻渓谷は吾妻を東西に分断し、人馬の通行を拒絶した大難所でした。しかし永禄六年(1563)、武田信玄が起こした真田幸隆を総大将とする岩櫃城攻略軍が進軍した4つの経路の中に、長野原町林(諏訪ノ郷)~道陸神峠~雁ケ沢の経路があり、幸隆が通った可能性も否めません。
江戸時代になり流通経済が活発になると、社寺への参詣や草津への湯治客、繭や麻の仲買人の往来が盛んになり、東西吾妻を直結する最短道路=吾妻渓谷の開削、開通が求められました。
1700年代後半には野口円心という僧侶が道陸神峠-久森峠の開削に喜捨し、また1846年と1864年には付近の村民を中心にして民衆により大開削がなされました。むかし道に設置された磨崖碑には当時協力した横谷村、松尾村、川原畑村、熊谷村、横壁村…などの文字が彫られています。
やがて、野口茂四郎氏が自己の全財産を投げ打って開削資金に当てて、明治28(1895)年、野口新道(旧145号線)が開通して初めて、吾妻渓谷は天下の名勝として世に出ることになりました。
■ ムラサキツツジ(ミツバツツジ)について
ミツバツツジ(三葉躑躅)はツツジ科ツツジ属の落葉低木。また、近縁のミツバツツジ類の総称でもあります。 関東地方から近畿地方東部の太平洋側に分布し、主にやせた尾根や岩場、里山の雑木林などに生育します。他のミツバツツジ類の多くは雄しべが10本なのに対し、本種は5本であることが大きな特徴です。
(※トウゴクミツバツツジは雄しべが10本です。)ミツバツツジは、4-5月頃に紅紫色の美しい花を咲かせます。花が終わってから枝先に三枚の葉がつきます。吾妻渓谷では木々が若葉を広げるその少し前に、この谷の芽吹きを祝福するかのようにミツバツツジは花を咲かせます。コバルトブルーの川面は紅紫色の花を鮮やかに映し出しています。地元の方がミツバツツジではなく、「ムラサキツツジ」とどうしても呼びたい理由は、吾妻渓谷とのコントラストにあったのかもしれません。地元・長野原町の町花にもなっています。